不動産屋のラノベ読み

不動産売買営業だけどガチガチの賃貸派の人のブログ

世界には穴が空いている

 
 今回は、オカルトな話をちょっと。
 

ネガコメ書いてidコールで訊かれて答えるかどうかは人それぞれ。
それがネガコメかどうかの判断も人それぞれ。
人それぞれ価値観が違う。
 
そりゃその通り。
その通り過ぎて、何か言ったことにはなっていない。
 
そこで「こういう場合はこうしたほうがいいと思う」という意見が出る。
やはり「人それぞれ価値観が違う」という言葉が返ってくる。
まるで魔法の言葉のように機能している。

魔法の言葉 - Ohnoblog 2

 この辺の話の何がやっかいかって、「人それぞれ価値観が違う」という答えは正解だってことです。
 ただ、これは例えば「A=A」みたいな、正しいけど無意味、に近い答えです。いや、もちろん、全然無意味じゃないどころか大切なことではあるんですけど、互いの文化を尊重する事がここまで浸透してきた成熟社会(笑)では、「言われなくても分かってるよ」的な。
 
 で。

大切なのは「正解」という名の「道」を探し続けることであり、「答えなんか見つけられない」とか「これが答え」という思考停止に陥らないということなのではないかな、という思考停止に陥っています(何)

http://d.hatena.ne.jp/ululun/20080522/1211421601

 ブコメにも書きましたが、「たぶん、世界には穴が空いていて、解はないよな」みたいな考えです、私。
 
 例えば、極端な話「世界にAとBの二人しかいなくて、どちらかが死なないと二人とも共倒れ」みたいな究極状況の時に、もう、「Aが死ぬべき」とかそういう正解なんてある訳ないじゃないですか。どちらが死ぬ、あるいは、二人とも死ぬ、とかその辺の正解は「世界の穴」の向こうにしかなくて、この世界には存在しないんですよ。
 もちろん、もっともらしい答えは出せます。「Aの方が長生きするからBが死ね」とか「Bの方が物を作る能力が高いからAが死ね」とか「Aは実は神だからBが死ね」とか、そういうの。でも、それこそ「人それぞれ価値観が違う」って話でしょう。
 
 結局、我々にできることというのは、せいぜい、色んな「人それぞれ」の挙動をゲーム理論的に解いて、最適解を見つける程度の話です。
 例えば。

 ま、他人に過剰に求めることはNGとしても、自主的にそれを行うことが美徳であると言う共通認識がある日本は素晴らしいと思いますよ。一期一会なんて言葉はそうは出てこないわけで。
(略)
 なあなあな日本の感覚みたいに言われちゃうこともあると思うけど、以心伝心的、無駄な伝達労力を使わなくても譲り合う文化自体は世界に誇れると思うんだけどなあ。その感覚が面倒だ、と言っているようにも思えちゃう。

贅沢な配慮をすることが日本の美徳だと思うんだけど - novtan別館

 まさに、この「日本の美徳」なんかは世界の穴の向こうの話になってしまうわけですが、それはそれとして、例えば「ベビーカーを畳む配慮をしない方が、日本は経済的に繁栄する」みたいな、ゲーム理論的最適解はあるかもしれないわけです。
 
 しかしながら、その最適解にも少なくとも二つの「穴の向こう」問題が隠されています。
 ひとつは境界問題。「日本は繁栄する」けど「国際社会は衰退する」ような解である場合、それが正解かどうか、というのはやはり「穴の向こう」にあるわけです。
 もうひとつはゴール設定問題。「日本は経済的に繁栄する」けど「文化的に衰退する」ような解である場合、それが正解かどうかは「穴の向こう」にあります。
 だから、ゲーム理論的最適解は、全然「正解」ではない、と考えます。
 
 
 で。
 じゃあ、どうするんだよ、という話ですが、ブコメにも書きましたが「あえて穴を埋める」「穴の存在を忘れる」「穴があるぞ、と叫び続ける」の三つの方法があると考えています。
 が。
 もう疲れたので、あとはゾンザイに。
 

あえて穴を埋める

 俺のオススメはこれ。何といっても楽。
 まず初めに「○○が一番大事」と決めちゃう。その仮定の是非についてはあまり検討しない。
 代表的なのは宗教。
 

穴の存在を忘れる

 どうせ、色々考えても答えが出ないから、「自分(とその周辺)が気持ちいいこと」に最適化するような解を求め続ける。
 代表的なのは東がいうところの「動物」
 でも、本当は穴の存在を分かっててやる方がいいと思う。個人的には、美学を感じない。
 

穴があるぞ、と叫び続ける

 疲れると思う。いい事があるとは思えない。穴を埋めてたり忘れている人に、「えーと、そこに穴あるんですけど?」と指摘すると喧嘩になると思う。
 でも、こういう人は必要だと思う。新しい世界観を作るのはきっとこういう人たち