↓これの件についてなんですが。
bunshun.jp
つい手が出てしまうのは誰にでもあること でも……
年下になめられて、ついカッとなって手が出てしまう気持ちはわかります。そういうことは誰にでもあること。
特に、子供や女性などの暴力に弱い相手や、部下や生徒などの権力的に弱い相手に対しては手が出てしまうことが多いと思います。なぜなら、反撃されないから。
実際のところ、あれ、相手がやくざだったりしたらビンタするやついないだろうと思うんですよね、怖いから。
相手が「下」だと思うから手が出るんです。
生意気なガキは殴ってもよい?
そういった意味で典型的な記事がありました。
俺は幼い子供を子育てしてる親も子供が逸脱した行為を起こして迷惑かけてたら多少ぶってもいいと思うし、暴走したら取り押さえて平手打ちの一発でも食らわせればいいと思うよ。
anond.hatelabo.jp
今まで人類はそうしてきたけどそれほど支障があったとも思えないし。
これなんですけど。
結局のところは「言うこと聞かないガキはひっぱたいて言うこと聞かせろ」という「体罰容認論」なんですよね。
暴力で騒ぎを抑止するという発想ですが、しかし、あれが大人だったらビンタしただろうか? ビンタしたとして、解決しただろうか? と考えると、それはなさそうだな、と思うわけです。
だとすると、あのビンタは「抑止行為」というよりもむしろ「教育」なわけで、「セッション中のソロの時間が長かったから」という理由で暴力を用いていいなら、「部活でチンタラしてたから」「授業の進行を邪魔したから」という理由で暴力を用いることも肯定せざるを得ないと思います。
正当防衛と体罰は混ぜるな危険
なんてことを言ってると「強盗が来たら黙って刺されるのか」みたいな反論がよくあるのですが、たとえばこちら。
b.hatena.ne.jp
学校にナイフを持ち込んだ生徒を校長室に呼び出して叩いた、というニュースです。
これにいくつか「ガキがナイフを持っていたんだから叩いてもいいだろう」みたいなコメントがありまして。
いや、もちろん、目の前でナイフを出されて刺されそうになったとか、他の生徒に害が及ぼうとしたとか、そういう時は暴力を用いるのもやむをえないです。でもそれは、正当防衛や緊急避難の話です。
日野さんの件、たしかに中学生が日野さんの「演奏会を滞りなく進行する権利」を侵害し、それに対するという正当防衛としてビンタした、という解釈もありえなくはないですが、それを認めると「授業の進行を邪魔したから」という理由による暴力が正当防衛として成り立つって事です。
体罰と正当防衛は混ぜると、いろいろなところで不具合を起こすと思いますよ。
体罰の是非をストーリーで判断するな
私、ここ数年繰り返し、「体罰の是非はストーリーで判断するのではなく、加害の度合いで判断せよ」と主張してます。
「このぐらい生意気なガキだったらビンタしてもよい」「このぐらい素行不良だったらグーで殴ってよい」みたいなストーリーによる暴力正当化はやってはいけないと思います。
それを認めると、何でもアリになるかと考えています。
「加害の度合いで判断せよ」とは、相手が大人だろうとクソガキだろうと、ビンタをしたならビンタ分の「責任」を取るべき、という話です。
じゃあ、具体的には「責任」とは何なのか。
大きくは、暴力をふるったことについて誤りを認め、謝罪することです。それが暴力の行使によって発生した不公正を解消する手段です。ビンタの加害の度合いはそれほどではないと思いますので、社会公正に照らして強い謝罪は不要かと思います。*1
もし、謝罪をしない場合、これは「ビンタをすることは暴力ではない、正当な行為である」という表明であるかと思います。近代国家において私的復讐による暴力は認められていませんから、本来「ビンタされたからビンタし返す」は許されません。しかし、ビンタが暴力でないなら話は別です。
つまり、「ビンタなんて大したことない」という人は他人からビンタされることを許容せよ、ということです。それが「責任」でもあります。
「演奏会で騒いだらビンタしてもよい」「隣の部屋で騒いでいて眠れないからビンタしてもよい」「禁煙スペースで喫煙をしたからビンタしてもよい」などなど、いろいろな場面でビンタを食らうことを覚悟する必要があるでしょう。自分がビンタする権利を行使するなら、当然に他人もビンタする権利を行使するはずです。*2
ですから、「加害の度合いで判断せよ」とは、しっぺなのかデコピンなのかビンタなのか、あなたが他人から受ける暴力として許容できるのはどこまでですか、という話でもあります。
「やられて嫌なことはするな、やったことはやりかえされる」というのは、多くの親が子供に教えるところではないでしょうか。
「相手が言うことを聞かないときにはビンタを張ってよい」という学習効果
とはいえ、あの中学生が日野さんにお返ししてビンタをして手打ちということはないと思います。
「おれに言うことあるよな。『ありがとう』って言うのを聞いてないんだよ」
news.livedoor.com
ちょっと、文章がおかしいので意味がとりにくいのですが、これ、こえーですよね!
もし日野さんみたいな人にこんな台詞言われたら、誰でもビビりますよw
中学生が平手張り返すなんて、まず無理でしょう。泣き寝入りがせいぜいです。
いや。
泣き寝入りならまだいいんです。
これが、本当に「日野先生ありがとうございます!」と目覚めてしまったら最悪でしょうね。
今回の件で、あの中学生は「目下の相手や弱い相手がいうことを聞かないときにはビンタを張ってよい」と学んだかもしれません。
もしそうであれば、日野さんに受けた暴力は本人に返らず、彼の下の人間に向かうかもしれません。さらにその人がまた下の人間に暴力をふるい……、と延々と続くかもしれません。
そういう意味で。
今回の件は、日野さんが過去に先輩などから指導の一環として受けた暴力、あるいは我々が学校の先生や部活の先輩やブラック企業の上司から受けた暴力、さらには我々が年老いて嫁や婿や介護職員から「言うこと聞かない年寄りはひっぱたいて言うこと聞かせろ」と将来にふるわれるかもしれない暴力に、ほんの少し正当性を追加した、ということです。
「責任」とはそういう意味でもあります。
蛇足
ところで、面白い意見がありました。
↓正当防衛が成り立つとはとても思えないけど…… - Lhankor_Mhy のコメント / はてなブックマーク
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正当防衛云々言い始めると法的にどうかってつまらん話になっちゃうし、そういう話だと「腕を掴んで引っ張っていく」とか「拘束する」とかだって暴行扱いだろうし、下手して擦り傷でもつくれば傷害でしょう?(続メタ
2017/09/01 18:54
はてなブックマーク - ↓正当防衛が成り立つとはとても思えないけど…… - Lhankor_Mhy のコメント / はてなブックマークで、そういう話じゃなくて(っつーか話の流れで分かると思うけど)『例えば、犯罪者の制止っつっても、「ストーリー」次第で許容“度合い”は変わってくるんじゃないの?』っていう話で。
2017/09/01 18:57
これはこれでなかなか楽しい、と思いました。
ここまで、暴力を国家が独占する近代国家の話をしてきました。これが決闘や復讐が権利として認められてきた時代の話はしていなかったわけです。
でも、「決闘や復讐の自由を認める近代国家」があってはいけないわけではないでしょう。衡平の原則に基づき私的暴力の行使を許可する近代国家というのは、思考実験のしがいがありそうです。「決闘税」みたいなのを設けて外部不経済を防ぐのとか楽しそう。
さすがリバタリアンのrag_enさん、発想がぜんぜん違う、と感心しました。
まあ、ご本人は、そんなつもりではなかったようなので残念でしたが。
↓なるほど、国家による暴力の独占を疑うんですね…… 確かに一理あります。すべての人には私的に暴力をふるう自由がある、ということになろうかと思いますし、授業を維持する権利行そんな話は全くしてない筈なんですけど…。/警察等による“制止”行為にも「ストーリー」による“度合い”があるなら、私人の“制止”行為にも「ストーリー」による“度合い”はあるでしょう?と。(続メタ
2017/09/01 23:11
警察官による暴力は、国家が独占している暴力の表れなので、「ストーリー」による“度合い”があるのは憲法による制約を受けているだけですよね…… 国家という暴力装置と私的暴力を混ぜるのは「標準的な」近代国家では無理が……