私は経済にあまり詳しくないので、ちょっとアレですが。
もし、原罪があるとするなら、それは政治家に、ひいては国民に存在する、と考えます。
通常の借金においては、主語は明らかである。「債務者」、すなわち今日借りた者が、明日返す。貸す方は、明日貸したものがどうなるかという予測を立てた上で、そいつに貸すのか貸さないのか、貸すとしたら金利を含めどういう条件で貸すのかを決める。ここにおいて、「今日借りる者」と「明日返す者」は同一である。
ところが、国債の場合、「借りる者」と「返す者」の主語が変わるのだ。国債の場合、借りるのは「現在の日本人」。ところが返すのは「将来の日本人」。この二つは同一人物ではない。借りた時点における日本人の中には、返す時点ですでに死んでいるものもいるだろうし、返す時点における日本人の中には、まだ生まれてすらいないものさえいる。
404 Blog Not Found:現在の国債の原罪
例えに例えを返して申し訳ありませんが、例えば株式会社が「債務者」となった場合、通常の借金であろうと主語が不明になります。借りるのは「現在の株主」。ところが返すのは「将来の株主」*1。この二つは当然同一人物ではありません。しかし、これは問題になりません。
何故でしょうか。
それは、その借入金を資金として投資を行った結果を受け取るのも、「将来の株主」だからです。
では、日本国の場合はどうなるのでしょうか。
大事なことは投資判断
日本国で「株主」にあたるのは「納税者」でしょう。日本国は「納税者」より税金を預かり、それを運用することによって国家価値を高めようとします。そして「納税者」は国家価値の増加という形で配当を受け取るのです。
ですから、国債を返済するのは「将来の納税者」ですが、国債で得た資金を原資として高まった国家価値を享受するのも「将来の納税者」です。
国債に罪は無いと言って良い。
実はdankogaiもそのあたりは分かっているはずで、
人口も経済も右肩上がりの場合は、国債の発行を正当化されうる。たとえば国債を借りる立場の親世代が、それを子世代のために投じた場合、子世代は明らかに利益を得たのだからその分国債を償還するという形で還元するという考え方がなりたちうる。高度経済成長の頃の日本というのは、そういう形で回っていたように思う。
と書いています。
結局のところ、「親の借金を子供が肩代わり」となるかどうかは、国債で得た原資を日本国がどこに投資するかです。
これが企業であれば、適切な投資先に投資すれば良いし、投資先が無ければ自社株買いなどをして株主に還元するところです。
ですから、日本ももっと税金の使い道を適切にすれば良いですし、「現状の財政規模を支えるような有効なお金の使い道がございません」と考えるならば、国債と税金を減らせば良い。まずはその判断からでしょう。
「借りた金は自分で返せ」とやると、リスクをとって国家運営をしようという考えが縮小するように思えます。人口が右肩下がりでも経済が右肩下がりになるとは限らない、都市インフラはシュリンクさせても経済をシュリンクさせる必要は全く無いはずです。
だから、道路とか作ってる場合じゃないんですよ。まじで。