かの池田センセイの「IPは枯渇していない論」の続編が登場しました。
そもそも市場が機能していれば、枯渇などということは論理的にありえない。比喩で説明しよう。土地は有限な資源だが、土地が枯渇するという人はいない。国有地があと5年でなくなるとしても、民間の土地を市場で取引すればいいだけだ。いま土地に住んでいる人は、引っ越す(ネットワークを再構築する)コストがかかるので取引をいやがるかもしれないが、オークションをやれば、コストの低い(使っていない)人から土地が出てくる。地価が上がれば、多少のコストを負担しても土地を売る人が出てくるだろう。
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/8a6b5bcadbd4dccabc9867cc66511cc9
通信のことや経済のことはアマチュアなので(つっこみたいけど)つっこみませんが、不動産のことは一応プロなので、つっこみ。
土地の利用にはインフラが必要
そもそも、土地というのはそれだけでは価値がなく、インフラがあって初めて価値があります。シベリアの1坪と東京の1坪の価値の違いは、主としてここから生まれています。ある土地に価値を持たせようとすれば、インフラ整備のコストがかかります。
土地の高度利用と開発のバランス
さて、人口爆発などにより土地が枯渇してきた場合、対処する方法は2つあります。
- 高層ビルなどを建てて、土地の高度利用を進める
- インフラ未整備のため利用できなかった土地を開発し、都市部を広げる
1、2は一般に併用されます。東京の例をあげますと、都心の高層ビルと郊外ベッドタウンです。
1だけですと地価の高騰により一般家庭による土地の所有が難しくなりますし、2だけですと土地の利用効率が悪いため無用な都市部の拡大が起こり、環境破壊や食糧生産への悪影響を招きます。必要なのはバランスです。
土地の市場主義と高度利用に因果はなさそう
また、市場性と高度利用の関係も気になります。
IPアドレスは、ちっとも特殊なものではないのである。少なくとも経済学の観点からは、それを取引してはいけない理由は何もない。公共的なインフラが市場で取引されている例は、電力、ガス、通信など、いくらでもある。
不動産は「市場取引すること」と「開発しないこと」はセットである必要はありません。あらたに開発によって利用価値を得た土地を流通させれば良いだけです。「足りなくなったら高度利用を進めればいいから、開発にコストをかけることは愚かだ」ということはあり得ません。
*1:池田センセイの主張って、これですよね?