実にいい。
「何を言ったか」が「誰が言ったか」より重要な場において、名前というのはむしろ邪魔ですらある。ましてや名前とそれが暗示するものが優れた才能が世に出ることを妨げる機会が今でも少なくないことを考えれば、匿名で議論できる場を常に用意しておくことの重要性は何度強調しておいてもいい。
404 Blog Not Found:有名人こそ、匿名を援護せよ
「何度強調しておいてもいい」とのことなので、さらに引用しますね。これはいいなあ。
でも、今回のエントリの中で一番良かったのは、ここ。
しかし、匿名というのは「神が保証する当然の権利」ではない。さまざまなやりとりを経て今の形になった、いわば「先人が勝ち取って得た権利」でもある。そして権利というのは、濫用はれば濫用はるほど取り上げられる公算も大きくなる。
さすがは、小飼弾。素晴らしい視点です。
ただ、ひとつ、弾さんが言わなかった事があります。そのことについて弾さんが無自覚であるとは思えないので、あえて言っていないのだと思いますが。
顕名はコストがかかる。
「神が保証する当然の権利」ではないのに、国家が保障しているものが他にも色々あります。言論の自由とかですね。
なぜ、わざわざコストをかけて保障しているのでしょうか。
もちろん、その方が長期的には国家が繁栄する、と考えられているからです。つまり、コストに見合う利益があるのです。
では、「匿名」がWEBで維持されているのは、なぜか。
もちろん、「顕名」にするにはコストがかかるからです。そして、それに見合う利益があるかどうかは疑わしい。
それなのに、一部の知識人が「顕名」を推進したがるのは、なぜか。
それは、「顕名」コストはWEB社会全体で負担するのに対して、「顕名」による利益は「匿名」言論を嫌う知識人達に大きくもたらされます。つまり、「経済人」として、単純に得だからそのように行動しているだけ、です。
ですから、
累進課税を「公正」と見なすのと同様の理由で匿名は保護されるべきである。
これは、少し違うと感じました。
さて、ところで著名人である弾さんは、「顕名」利益を享受できる方なのですが。
なぜ、「顕名」を推進しないのでしょうか。
匿名がなくなって困るのは小飼弾
話は変わりますが、弾さんは毀誉褒貶がある方です。熱心なアンチもいるようです。
しばしばウカツなことをブログに書きます。私も、「これはひどい」タグをつけてブクマした事が、何度かあります。
ところで、世の中には「先生」と呼ばれる人で、弾さんよりもウカツなブロガーが結構います。そして、得てしてそういった人たちは、「間違い」を指摘しても改めないどころか、論点をずらして逃げたり、後出しジャンケンをしたりと、非常にお行儀が悪い議論の仕方をします。
ですが、我らが小飼弾は違う。
確かに、「間違い」を改めないことは多いのですが、変な反論をしてこない。見方によっては「負けを認めた」かのような対応をします。
なぜでしょうか。
それは、やはりコストに見合わないからなのです。
おそらく明確に意識してやっていると思いますが、弾さんは「ブログを書く時間をコスト、その反応を利益」としてみているところがあるのです。
そういった価値観からの最適な戦略は、
- ネタの収集に時間をかけない。できれば全くしない。
- 調査を短時間で終わらせる。できれば全くしない。
- 多少の誤謬があってもいいから、ブログを短時間で書く。
- 議論の為の議論をしない。
- ついてくる読者を減らすような、多くの前提がある話をしない。
- 反論をするには調査をする必要があるため、反論はしない。
- 読者になるべく反応をさせるため、議論の余地があるエントリを書く。
まさしく、小飼弾スタイルです。
さて。
もうひとつ、「反応」を引き出すのに大事な視点があります。
それは「どこにコストを投下するか」です。
「匿名」WEB社会はその自由さによってレスポンスが取りやすい社会です。その意味で弾さんにとって、重要な市場であるといえます。
小飼弾は「知の商人」
つまり、弾さんは「匿名」WEB社会にコストを投下する投資家なのです。しかも、有数の大株主であろうかと思います。
誰が自分の投資先を潰そうとするでしょうか。
そういう意味で、弾さんは「知の巨人」や「在野の賢人」たりえないと思います。
彼に相応しい呼び名は「知の商人」です。わずかの時間投資で大量の反応を搾り取る搾取者です。巻き起こった論戦に安全なところから投資し、時には自ら論争を巻き起こす、死の商人でもあります。
あこがれるなあ。
ところで、弾さんはその「反応」をどうしてるんでしょうね。自らの「知」として内部留保し再投資しているのか、それとも別の形で受け取っているのか。
うーん、興味深い。