不動産屋のラノベ読み

不動産売買営業だけどガチガチの賃貸派の人のブログ

失敗に寛容な社会


 人間、誰でも間違えます。
 時には人生の重要な局面において大変な間違いをする場合もあります。
 

 また、これまで一度も経験した事がない選択については、必要な情報が得られず選択しなければならない場合もあります。
 例えば、不動産購入についてもそのようになりがちで、今まで持ち家のリスクをしつこいぐらいにエントリにしていたのは、その辺りを警告したかったからでもあります。
 出産・育児・教育について*1同じことだろうと思うのです。
「必要な情報を収集しなかったのが悪いのだろう」という反論もあろうかと思います。しかし、今まで子育てをした事がなかった人が、その実感的苦労などを十数年先まで正確に予想することは、不可能に近いのではないでしょうか。


 いや。前回のエントリの続きなんですけど。
 id:kkk6さんの言葉は、出産直後に夫を亡くして一人で仕事と育児をしてきたような人にも届いているということは、果たして自覚的なのでしょうか?


 人生の重大局面において判断を誤った人たちに、「お前の選んだことだろ」と言ってしまう社会は、ちょっと受け入れがたいな、というのが感想です。自己責任も結構なのですが、もっと失敗に寛容な社会の方が私のような愚か者には住みやすいです。





 また、関連してTB頂きました。有難うございます。

ただ、「好きで人生を延長させている」ってのは、どうなのかなと。言い過ぎではないのかなと。

自殺に要するコスト(準備に要する労力とか、精神的な苦痛とか)について想像されているのかな、と言う疑問も勿論あるのですが、それ以前にそもそも『産まれるという事に、子自身の意思など介在不可能。』と言うことを認識されているのかな、と疑問に思いました。

http://d.hatena.ne.jp/Agguy0c/20070504

 これは、すみません。ただの皮肉です。全ての人が、失敗もしないし愚痴も言わない素晴らしい人なのかな、ということが言いたいだけです。一言で言えば「お前が言うな」というつっこみです。本気でそのように考えていません。

教育についてはさて置き、育児が社会を維持するコストって言うのは、所謂「少子化対策」を意識された発言だと解釈したのですが(違っていたらすみません)、この方は個人は社会のために存在するとお考えなのでしょうか。

 子どもが全く生まれなければ社会が維持できないのは当然だと思うので、育児・教育(これはセットで考えるべきかと思いますが)は社会が負担すべきコストだという考えです。ですから「個人は社会のために存在する」とは全く反対に、「社会は自らの維持の為に、育児教育のコストを個人に代わって負担すべき」と考えています。注意していただきたいのは、社会の為に出産すべき、とは言っていない点です。


 以前の日本では、老いた親を子が養うのが当たり前でした。ですから、個人が子どもをつくるコストは、子どもが老後の介護をすることによって返報されました。
 しかし、「生んでくれって、頼んでねーよ」という社会になると、その互恵関係が崩れます。
 一般に、子ども一人育てるのに2000万円と言われます。これは育児教育による時間的ロスの機会損失を考えていませんから、実質的にはもっと上でしょう。
「子どもをひとり育て上げて・貯金ほぼゼロ・老後の面倒見る者なし」「子どもなし・貯金2000万円」という対比が起こる前に、社会の方から何らかの調整はあってしかるべきなんじゃないか、というのが私の考えです。

*1:もちろん結婚についても!