不動産の話を書くとパクられるのかな?
trick4pc.com
わかったこと
- script要素を読み込む
- 記事を削除しても残る
- 本文の編集を反映する
こんな記事が話題になっていました。
これを書いたのは理由があって、手数料一律30万の仲介業者を使おうとしたら「もう住○不動産で内見されてるなら無理ですねーあそこは特殊で」と言われたので。要は売主買主双方から手数料を取る両手取引をしたいがためにス○フが囲い込みをしているわけ。そういう買主のみ扱う格安仲介業者がス○フに問い合わせても断られちゃうってこと。
anond.hatelabo.jp
増田の言いたいことをまとめると。
ということです。
「両手禁止」と「囲い込み」については、私も過去にいくつか記事を書いてきました。
今回は、仲介手数料値引き競争が激化するとどうなるか、を予測してみたいと思います。
仲介手数料値引き競争をすると、当然、コストカットをした業者が有利になります。
不動産業者でコストセンターとなっているのは、不動産情報作成です。SUUMOやHOME'Sなどへのネット掲載料もバカになりませんが、物権調査をし、資料を作成し、収集し、削除をするのにかなりの労力を使っています。
ネット掲載をしないのはもちろん、できれば、物件資料も持たないのが理想です。
「不動産屋の存在意義がなくなるじゃん。そんな自殺行為する奴いるの?」と思うかもしれませんが、実際に「ウチでは案内をしないので、他業者に見せてもらってから来てください」という素敵な業者も存在します。
つまり、契約書を作るだけの不動産屋です。不動産屋というよりエスクローサービス、と言った方がしっくり来るかもしれません。
もちろん、それはそれでアリな姿なんでしょう。
ただ、そうなってくると、物件資料を作ってネットに挙げて物件案内をする普通の業者がいなくなりますから、この仕事を誰かがタダでしなくてはいけません。
普通に考えると、売主なんでしょうね。物件を売りたいという人が、写真を取って、役所回りをして法令調査をし、物件資料を作って、SUUMOにお金を払って掲載する。
もしかしたら、売主お手製の物件資料を持って不動産業者を回り「この物件を売りに出していますのでお客様がいらっしゃいましたらご連絡ください。案内は私たちがしますので」と言うぐらいの営業活動が必要になるかもしれません。
おそらく間違いなく、物件情報は少なくなるでしょう。同じ物件を5件10件掲載しそれぞれから掲載料を取っていたSUUMOなどの不動産検索サイトは、ビジネスモデルを考え直す必要があるのでは。
ちなみに、フリーミアム*1の取り組みはGoogleがやって失敗しましたので、あまり期待しないほうがいいでしょう。
物件情報がクローズになれば、顧客が情報を得ることが難しくなります。当然、情報の非対称性が上がりますから情報自体の価値が上がり、物件を直接取引しなくても商売が成り立つかもしれません。
不動産屋から仲介業務を取り除いた業者、案内を代行する業者や物件情報を集めて売る業者が出てくるかもしれません。
ここで面白いのは、仲介業務をしない案内屋は現場に行きますから物件に詳しくなり、仲介業務をする不動産屋は物件を見ませんからどんどん疎くなっていく、という点です。
なんらかの新しいトラブルが発生するかもしれません。
トラブルが多くなってくると、ペット可物件で余計なトラブルを抱えようとする賃貸オーナーが減り、猫が減りますから、ねずみが増え、ねずみが桶をかじるので、桶屋が儲かる可能性が高いです。
*2
Googleが不動産業界に革命を起こしてくれる、そんなふうに考えていた時期が俺にもありました。
「両手」を禁止すれば全て上手くいく、そんなふうに考えていた時期が俺にもありました。
似たようなテーマで過去にこんな記事を書いていました。
毎度おなじみ、「賃貸vs持ち家」論争です。
今回のネタ元はこちら。
www.mag2.com
筆者の主張は以下の3つです。
またそもそも家賃というのは、家を買うよりも割高に設定されています。家賃というのは、次の数式で算出されます。
家の購入費+諸経費+大家の利益=家賃
一方、家を買った場合、必要とされるお金は次の通りです。
家の購入費+諸経費
つまり、大家の利益の分だけ、家を買った方が得なのです。家賃を払っているということは、大家の利益をもずっと払っているという事なのです。
よく耳にする理論ですね。
でも、残念ながら、世の中には「業者がやると利益を生むからといって、自分でやった方が得とはならない」ことはたくさんあります。
理屈どおりであれば、以下のことも言えるはずです。
でも、現実はなかなかこうはいかないです。
直近の東京カンテイのマンションPER( https://www.kantei.ne.jp/report/95PER2017_shuto.pdf )によると、都内マンションのPERは平均で24.49倍、つまり平均利回りはだいたい4%です。
ちょっと計算してみればわかりますが、これじゃ借入をすると利益出ないです。会計上は出るかもしれませんが、キャッシュフローはやばいです。お医者さんとか弁護士さんとか、「ちょっとお金が余ってるんだけど銀行に置いておくのももったいないしマンションでも買うかな」みたいな人が現金買いすれば、利益出るかもですね。
また“家”を持っている人と持っていない人では、心理的にも大きな違いがあります。“家”を持っている人は、収入が少なくても自分のことを貧乏だとは思わないでしょう。それは、人生を楽しく生きていくうえで非常に大きな要素ではないでしょうか?
へえ。
たとえば、50歳くらいでリストラもしくは肩たたきをされた人がいるとします。この人が、もし家を持っていたなら、そう慌てなくて済みます。ローンが残っていたとしても、退職金で何とかなるでしょう。
会社をクビになった場合、賃貸よりも、ローンを抱えていた方が安心できる、とのこと。
「家買っちゃったからもう仕事辞められない」みたいなサラリーマンの実感を一蹴する新しいモノの見方ですね。この前向きさは見習いたい。
持ち家のメリットはそれだけではありません。持家の最大のメリットは「資産形成」だといえます。家賃は払ったお金はすべて出ていくのに対し、持ち家の場合は、払った家の購入費(ローンなど)は、すべて「家」という資産を形成していくことになります。
先ほども書きましたが、都内新築マンションの平均利回りは4%です。配当のいい株よりちょっと高いぐらいのレベルです。
購入時に無理のないローンを組んでいれば、地価が下がったとしても、ほとんど影響を受けることはないのです。いざというときに売却するときに、売却代金が減るというだけの話なのです。
資産としては減っていますね。
たとえばですね。「配当利回り4%の株があるから35年のロングで買えよ。いい資産形成になるぞ、その頃には価値が半分になってると思うけど」と言われて、買いますかね?
ただ、以下の指摘は正しいと思います。
しかし、持ち家の場合は、その逆です。長生きすればするほど有利になるのです。ローンを払い終われば、あとは固定資産税だけ払えばいいわけです。だから、老後の生活を考える上では、持ち家の方が圧倒的に有利なわけです。
現在の日本の不動産市場では、残念ながらローンが終わった住宅はかなり価値を減らしているかと思います。ただ、使用価値は別です。
たとえば、あなたが1000円のカレーを買って半分食べたとします。
これ、500円で売れるでしょうか? 売れないですよね。もしかしたら、タダでももらってくれる人はいないかもしれないです。
しかしだからと言って、あなたがカレーを半分食べたところで誰かに「その残り半分100円で買うよ」と言われても、あまり売ろうとは思わないんじゃないでしょうか。
「食べかけのカレー」の市場価値は0に近い、でもあなたにとっての使用価値は500円に近い。
一般に、新品は、市場価値 ≒ 使用価値、中古品は、市場価値 < 使用価値、です。
あなたが「食べかけのカレー」に価値を見るなら、持ち家はよい選択かもしれません。でも、市場価値を期待してはいけません。
個人的には、老後に家を買えばいいかと思います。
30歳で子供ができて、35歳で家を買って、55歳で子供が独立し、80歳で死ぬ、という人生を送った時、あなたが家で子供と一緒に暮らす時間は45年の内20年間です。残りの25年間はその分部屋が無駄になります。
また、家を買う時に、小学校距離なんかを気にすると思いますが、これなんて6年で意味がなくなりますよね。
高齢化社会において、子育て期は思ったよりも短く、人生の中でも特殊なニーズが発生する時期です。その一過的なニーズを主眼にして家を買い、使用価値を重視して流動性を失うのは、かなり無駄が多いでしょう。
短くて特殊なのですから、賃貸でいいじゃありませんか。
子育てが終わり、2人になってから部屋数が少なく市場価値の低い、あと30年使えれば十分な家を買う、というライフプランもありだと思いますよ。
自分ではまだまだ若いつもりでいたんですが、もうインターネット老人になっていたようです。
ある物事に対して、そのプラス面を見て評価するか、マイナス面を見て評価するか、という分け方をしてみるとする。
blog.skky.jp
(略)
マイナス面だけに注目するのが当たり前になった人たちは、最終的には「何もしないことが最良!」という価値観を支持するようになる。
批判的であること、イコール、保守的であること、という論はかなり衝撃的です。
おっさん達が若い頃は、革新というのは常に現状への批判から始まりました。「小泉改革」とか「大阪維新の会」とか、下のほうから現状をぶっ壊そう、という動きです。
しかし、「批判的=保守的」という若い人たちにとっては、どうやら「批判=革新への批判」ということのようです。
まず、現状の肯定から始まり、その上で革新も肯定する、そういう人たちが革新派、ということらしいです。
もちろん、実際に革新を実行する人は、現状に無批判ではないと思います。そのような人は現状を変更する動機に乏しい。
であるから、大部分の人にとって「誰かが考えた新しいこと」について無批判に「お、それいいね」と支持する、というのが革新であるようです。
つまり彼らにとって、「改革とはお上から下りてくるもの」なのではないでしょうか。
「お上」は言い過ぎとしても、すごく頭のいい人とか、とても行動力のある人とか、素晴らしいカリスマ性のある人とか、そういったちょっと雲の上の人たちです。
すごい人や偉い人の邪魔をしないこと、イコール、革新的であること、というのが若い人たちのスタイルなのではないでしょうか。
これは、現状へのゆるい肯定と、「お上」への強い信頼が必要とされます。
少し前に話題になった id:kawango の「情報公開不要論」も同様の傾向が見られます。
kawango.hatenablog.com
これが、これからの革新派、ということです。
え?ノンポリ?
そんな死語を使うから年寄り扱いされるんですよ。
先にぼくの主張の結論を書くと、現状の情報公開制度は本来目指したいメリットは、ほとんど得られない上に、デメリットだけはとても大きいということだ。
kawango.hatenablog.com
情報公開による不正を減らすという目的は、究極的には国民の税金の無駄遣いを減らすということが一番大事だろう。不公平をなくすということは大事だとしても、平等にお金を無駄遣いするというのが目的ではないはずだ。
細かい制度設計のことは置くとして、国を信頼しすぎかな、と思いました。
思考実験をしましょう。
たとえば。
排他排中的な二つの政策AとBがあったとします。
排他排中的なので、AとBのどちらかは実行せねばならず、両方を実行することはできません。
AとBともに、実行されれば国に1兆円の利益があります。
さて、ここで政策Bが実行されることになりました。
ところが、政策Bではid:kawangoを殺すことが前提となっていました。
そして、政策Aでは私、id:Lhankor_Mhyを殺すことが前提です。
そしてどうやら、id:Lhankor_Mhyが不正な手段を持って政治に働きかけ、政策Bが採用されたようです。
この不正を調査するには1億円がかかります。
この調査が必要であるかどうか、国が判断するのであるなら、国の利益を第1に考えるしかないでしょう。
そして、国の利益を考えるなら、調査をせずに政策Bを実行し、id:kawangoを殺すのがベストでしょう。
id:Lhankor_Mhyの不正を調査することは、揚げ足取りであり、無駄です。
id:kawangoが調査をあきらめれば、国のために自ら犠牲となった、とみなの尊敬をあつめるかもしれませんね。
功利主義は、私も好きな考え方の一つです。
ですが、その「功利」の測定について、各時代の賢人が頭を悩ませ、未だに結論がでていない難問でもあることを知っています。
「最大多数の最大幸福」は、その達成が難しい、というレベルの話ではなく、その存在を確認することさえが難しいのです。
ハイコンテキストすぎて私信みたいなものなので、↓こちらを読んでいない人はスルー推奨です。
流行期には発熱患者の6割とか8割とかがインフルエンザである*3。仮に70%の確率でインフルエンザである患者さんに対し感度が80%の検査を行い、結果が陰性だったとしよう。この患者さんに対して「あなたはインフルエンザではないので熱が下がったらすぐに出勤していいです」と言っていいだろうか?
こうした患者さんが100人いたらそのうち70人がインフルエンザだ。この70人のうち検査陽性は70×0.8 = 56人、検査陰性は70-56 = 14人。インフルエンザではない30人は全員検査は陰性である*4。陰性の結果が出た14+30 = 44人のうち、インフルエンザではないと正確に診断できるのは30÷44 = 約68%である*5。検査だけでインフルエンザではないと診断してしまったら、残りの3割強の患者さんがウイルスを巻き散らすことになりかねない。
d.hatena.ne.jp
(略)
それはそれとして、インフルエンザの流行期には「検査で陰性なら解熱してすぐに出勤してもよい」「他人に感染させないためにも積極的に病院を受診して検査を受けたほうがよい」という方針は医学的には不正確で、かえって流行を促進しかねないことが周知されればありがたい。
これは本当だろうか、と感じたので記事を書きます。
id:NATROMさんの
インフルエンザの蔓延防止が目的なら、流行期の発熱患者は検査の結果に関わらず、インフルエンザであるとみなして対応するのが望ましい。すなわち、発症してから5日間かつ解熱して2日間は出勤せずに自宅で安静にする。
というご意見に同意します。
しかし、
インフルエンザの流行期には「検査で陰性なら解熱してすぐに出勤してもよい」「他人に感染させないためにも積極的に病院を受診して検査を受けたほうがよい」という方針は医学的には不正確で、かえって流行を促進しかねない
というご意見には異論があります。
まず、疑問に思うのは、
陰性の結果が出た14+30 = 44人のうち、インフルエンザではないと正確に診断できるのは30÷44 = 約68%である
の部分です。この68%という数字は指標になるのでしょうか。
全体で10万人いたとして、100人が発熱し70人がインフルエンザ患者、検査の感度が80%とすると、id:NATROMさんの計算のとおり、約68%です。
さて。
ここで、インフルエンザ以外の風邪が流行り、200人が発熱したとしましょう。この人たちも検査を受けに行きますがインフルエンザ患者ではありませんから、結果は陰性です。
200人が発熱し70人がインフルエンザ患者、検査の感度が80%とすると、130÷144 = 約90%となり、インフルエンザ以外の風邪流行によって検査の信頼度が上がったことになります。
おかしくないですか?
また、インフルエンザの大流行により「少しでもせきや鼻水が出たら検査を受けるように」というお達しが学校や会社から出たとしましょう。
その結果、1000人が検査を受けに行き、200人が発熱、70人がインフルエンザ患者、検査の感度が80%とすると、930÷944 = 約98.5%となります。つまり、症状がなくてもどんどん検査に行った方がいい……
おかしくないですか?
見逃したインフルエンザ患者の数や、あるいは集団全体に占める見逃したインフルエンザ患者の割合を見るべきではないでしょうか。それなら、どのケースでも同じ値になります。
次に疑問に思うのは、ここです。
「他人に感染させないためにも積極的に病院を受診して検査を受けたほうがよい」という方針は医学的には不正確で、かえって流行を促進しかねない
「医学的に不正確」なのはそのとおりなんだと思います。私もよりによってid:NATROMさんに医学で論争を挑むほど身の程知らずではありません。
しかし。
この「かえって流行を促進しかねない」というのは本当でしょうか。
非常に雑で極々極めて簡単なモデルを考えてみましょう。
このモデルで誰も検査に行かなかった場合、全インフルエンザ患者がそれぞれ2人に感染させるので、次世代のインフルエンザ患者は140人になります。
逆に、100%の発熱患者が検査を受けた場合、インフルエンザ患者の内 70 × ( 1 - 0.8 ) = 14人がそれぞれ2人に感染させるので、次世代のインフルエンザ患者は28人になります。
めちゃめちゃインフルエンザ蔓延予防に役に立ってますよね。
id:NATROMさんはどのようなモデルを考えたのでしょうか。
インフルエンザの蔓延防止が目的なら、流行期の発熱患者は検査の結果に関わらず、インフルエンザであるとみなして対応するのが望ましい。すなわち、発症してから5日間かつ解熱して2日間は出勤せずに自宅で安静にする。
そういうことでしょうね。
モデルを再構築してみましょう。
このモデルで誰も検査に行かなかった場合、全インフルエンザ患者を含む全発熱患者が休養するので、次世代のインフルエンザ患者は0人になります。
逆に、100%の発熱患者が検査を受けた場合、インフルエンザ患者の内 70 × ( 1 - 0.8 ) = 14人がそれぞれ2人に感染させるので、次世代のインフルエンザ患者は28人になります。
めちゃめちゃかえって流行を促進してますね。
とはいえ。
現実に「熱は治まったけど、インフルエンザだったかもしれないし、あと3日休もう」という人たちが100%を占めるということはないでしょう。
モデルを再構築してみましょう。
このモデルで誰も検査に行かなかった場合、インフルエンザ患者の内 d × ( 1 - r ) 人がそれぞれ i 人に感染させるので次世代のインフルエンザ患者は d × ( 1 - r ) × n 人になります。
逆に、100%の発熱患者が検査を受けた場合、インフルエンザ患者の内 d × ( 1 - 0.8 ) 人がそれぞれ2人に感染させるので、次世代のインフルエンザ患者は d × ( 1 - 0.8 ) × n 人になります。
せっかくですから、検査を受けに行くか否かで次世代のインフルエンザ患者が変わらない、「休養割合」r を求めてみましょう。
d × ( 1 - 0.8 ) × n = d × ( 1 - r ) × n
r = 0.8
まあ、求めるまでもないですよね。式をごらんいただければ分かるとおり、インフルエンザの感染力や、インフルエンザ患者の割合・数、発熱患者の数に依存しません。
この非常に雑で極々極めて簡単なモデルですと、「休養割合」r が検査の感度(80%)を上回る場合に『「他人に感染させないためにも積極的に病院を受診して検査を受けたほうがよい」という方針は、かえって流行を促進しかねない』と言え、下回るの場合は蔓延予防になると言えます。
もちろん、現実はこのモデルとは違って、陽性だというのに外に出たり、検査を受ける前に他人に感染させたり、症状のない感染者がいたりするわけで、計算どおりにはいかないでしょう。
「じゃあもう、休んでもムダなんじゃね?」と言いたくなりますよね。
ただ言えることは、「休養割合」r が 1.0 の状態がインフルエンザ蔓延予防目的には最上であり、そのためには「検査で陰性なら解熱してすぐに出勤してもよい」は排除しなくてはならない、ということです。
そうなった場合には陽性だろうと陰性だろうと発熱があれば休むのですから、検査は『かえって流行を促進しかねない』と言えるでしょう。同様の理屈で、ワクチンもインフルエンザを軽症化し、感染者を不可視化するので、『かえって流行を促進しかねない』と言える、かもしれません。
しかし、その最上に至る過程の状態においてはその限りではないと思います。
戦争が存在しないことが最上であり、そうなった場合には戦争をしないのですから、軍事力はかえって戦争を促進しかねない(ただし現状ではその限りではない)、みたいな話でしょうか。
個人の行動選択としては、あなたの周辺が「熱は治まったけど、インフルエンザだったかもしれないし、あと3日休もう」という行動に許容的であれば検査を受けない方がよく、否定的であれば検査を受けに行って陽性の結果を勝ち取るのが最適と言えるでしょう。
クソ当たり前すぎる結論ですが。
id:NATROMさんからコメントを頂いたので、その応答を追記します。
検査対象者の有病割合(検査前確率)が低いほど陰性反応的中割合は高くなります。
異論ありません。
わざわざ検査を受ける意義に乏しいです。
異論ありません。
ここでは、陰性的中率がインフルエンザ検査の蔓延予防効果の適切な指標になりえるか、ということを書いていました。
コメントの最後の段を読んで、NATROMさんは「インフルエンザ検査の蔓延予防効果の指標」として書いていたのではなくて、検査陰性の不確実性を周知するためだったのだ、と理解しました。
ありがとうございました。
検査を目的に受診するインフルエンザ患者の増加は病院への行き来や待合室で他の人にインフルエンザを感染させるリスクを増やします。また、検査を目的に受診するインフルエンザではない患者の増加は待合室で自身がインフルエンザに感染するリスクを増やします。とくに流行期はそうです。その点をご考慮いただけたらありがたいです。
おっしゃるとおりです。
インフルエンザワクチンの集団免疫効果は疫学研究で示されています。「ワクチンは流行を促進しかねない」という主張は間違っています。
おっしゃるとおりです。私も本気で「前橋レポート」みたいなことを考えているわけではないのですが、不用意な書き方だったと思います。
ちなみに私の外来に受診していただけたなら原則として検査なしにインフルエンザと診断して5日間自宅で休養していただきます
それは素晴らしい。
「他人に感染させないためにも積極的に病院を受診して検査を受けたほうがよい」という方針は医学的には不正確であることを周知する必要があります。診察室内でご説明してもほとんど意味がないんですよ。そんなことを言われても個々の患者さんはどうしようもないでしょう。
『会社内や組織内でインフルエンザが蔓延するリスクを負いながら、休養をしない、あるいは休養をさせない、という選択をせざるを得ない事情があるのは理解できる。しかし、「検査で陰性なら解熱してすぐに出勤してもよい」という方針は、一般にリスクが低く見積もられすぎ、不要なリスクを負っている傾向にある。「インフルエンザ蔓延リスクを可能な限りコントロールしたいならば、検査を受けずに休養するべき」と周知した方がよい』
というような理解で、おおむねよろしいでしょうか?
小島慶子さんが大変いいことを書いておられました。
#MeToo は男性排斥運動でもなければ、女性だけのものでもありません。力の差を利用して口を塞ぐものへのNOであり、苦しい思いを口に出せず、理不尽な目にあっても泣き寝入りするしかない世の中へのNOです。
www.buzzfeed.com
つまりはあなたがこれまでに受けたあらゆる支配や暴力へのNOでもあるのです。
男らしさの押し付けだって、長時間労働だって、パワハラだって、みんな#MeTooと根っこはつながっています。
もしもあなたが男性で「女ばかりが被害者ヅラか」と思うなら、暴力の連鎖の果てで声をあげた女性を責めるのではなく、自分を痛めつけたのは誰かを思い出してほしい。それを生み出した構造を疑ってほしいです。
実にすばらしい。根源的な原因はマチズモ。そのとおり。あなたがもし未読なら是非読むべき。
でも、この「マチズモと戦うために男性も #MeToo とつながろう」みたいなの、やめてほしいです。
ずるいと思います。
以下、論拠。
Googleトレンドで「弱者男性」を調べると2015年5~6月にバズっているのがわかります。
"弱者男性" - Google トレンド
きっかけになったのは、コレです。
togetter.com
やはりGoogleトレンドで調べるとこの記事以降に使われるようになった言葉であることがわかります。
"キモくて金のないオッサン" - Google トレンド
個人的に、この時期に書かれたはてなダイアリーの記事でとても印象深かったものがあります。
font-daさんのこれです。
b.hatena.ne.jp
*1
font-daさんはこの記事でこう書いています。
私がざっと見たところ、かれらの主張を要約するとこうである。
かつて男女差別が苛烈であったころは、女性は圧倒的な社会的弱者であった。しかし、フェミニズムの台頭で社会は変革され、男性以上に賃金を稼ぐ女性もいる。だから、フェミニズムは女性ばかりを救済するのではなく、稼ぎの少ない「弱者男性」を救うべきだ。稼ぎの多いフェミニストは、「弱者男性」と結婚しなければならない。
font-daさんにどういう意図があったのか不明ですが、font-daさんが「かれらの主張」としてリンクして挙げたのは次の記事です。
一部引用します。
本質的にフェミニストは、弱者男性とジェンダー的な部分で共闘できると思うし、理念的にも共闘する義務があると思う。少なくとも建前上は、フェミニズムはそうして民意を獲得してきた歴史があるわけだし。(少し前に炎上したエマ・ワトソンのスピーチでもそうした趣旨のことが言われている http://logmi.jp/23710)
anond.hatelabo.jp
フェミニストが弱者男性から敵視されるのは、建前上はジェンダーフリーを唱えつつ、その実、男性のジェンダー不平等を無視し、女性側のジェンダー不平等ばかりを取り上げることにあると思う。
少なくともこの増田の本文中には「結婚」という単語さえ出てきません(「性愛」という単語はある)。
font-daさんにどういう意図があったのか不明ですが、このころ以後『フェミニストは「キモくて金のないオッサン」と結婚するべきだ』という言説が見られるようになりました。
「キモくて金のないオッサン」側からの要求としてまれにそのような言説がされることもありましたが、主観的には「フェミニスト」側からの「的」として使われることが多いように思います。まあ、ほんとにそう主張してる頭おかしい奴も実際にいるんで「的」にされるのは仕方ないと思いますが。
いずれにせよ、まあ、なんというか、これに関してはまともな議論はできない環境になりました。誰かが意図的に断絶を生もうとしてるんじゃないか、などと陰謀論を唱えたくなる気分です。「ガチで議論してたらこうなった」なんて現実よりそっちの方がまだ気が楽です。
前掲のfont-daさんの記事を引用します。
フェミニズムは女性の自助的なつながりから始まった。だから、運動の筋から言っても、仮に救済に優先順位をつけるならば、「賃金を稼げない女性」が最優先ではないか。
ごもっともだと思います。
フェミニストはみなさん意見が違うのでややこしいですが、このご意見に同意するフェミニストは多数派なのではないでしょうか。
フェミニストは女性の救済を優先する。2人の困った男女がいて1人助けるリソースがあるなら女性を助けるのがフェミニズム。
当然です。よろしいんじゃないでしょうか。
しかし。
それならばですよ。
100人の困った女性と1人の困った男性がいて、100人助けるリソースがあるなら……?
一部のフェミニストの方は(そして一部のリベラルも)こういう極端な条件での思考実験を嫌う印象があります。身体性を重んじるのはフェミニズムの長所だと思うので、それはそれでいいことだと思います。
もう何を言いたいのか分かったと思うんですが。
#MeToo につながったとしても、結局のところ男性を救うのは男性なんです。リソースが余ったら助けてくれることもあるかもしれないが、女性や女性を支援している人たちに期待しちゃいけない。
当たり前です、女性のセクハラ告発運動なんだから、あくまでも女性救済を目的としてコミットしましょう。
これは正しい。
疑う余地もなく正しい。
でも「だからパワハラを受けている男性も声を挙げてください。支援します」とはどこにも書いてないです。
勘違いするなよ男性諸君。
特にリベラルの君。
彼女の思わせぶりな態度にマジになっちゃ駄目だ。
「あ、もしかして僕のこと……」と本気になったら、行き着く先はセクハラやストーカーだぜ?*2
ただ、まあ。
BuzzFeed の #MeToo カテゴリには男性への性的暴力の記事もひとつあります。
www.buzzfeed.com
*3
だから、全然脈なしというわけではないでしょう。
きっと、#MeToo や小島さんは天然で思わせぶりな態度を取っているだけなんです。ナチュラルにダメ男製造機的発言をしているだけで、自分たちの活動がめぐりめぐって男性をも救うと本気で考えているのでしょう。
なので、きちんと数とリソースをそろえて本気で #MeToo に男性救済目的でコミットするのもアリかと思います。
そうすれば、嫌がらせやあてつけと見なされたり、迷惑がられるということもないでしょう。たぶん。*4
私はやらないけど。
そういうわけで、フェミニズムに頼れない以上、リベラルがちゃんとアンチマチズモやらないと終わっちゃうからさ、みんなそろそろちゃんとしようぜ。パターナリズムを避け弱者を助けマチズモを退けるの、矛盾だらけでほんと大変だと思うけど。
*1:以前、IDコールをしない約束をしたので、ブコメにリンク失礼。
*2:ネタです。
*3:https://www.buzzfeed.com/jp/kazukiwatanabe/20170616-2 https://www.buzzfeed.com/jp/yuikashima/boys-molester もあるが、以前の記事をカテゴリに加えたもののようだ
*4:ほんとこの断絶作ったやつ誰なんだよ