↓こちらの記事について。
http://kutabirehateko.hateblo.jp/entry/2017/04/27/005151
職員をイメージしたキャラクターが企業のイメージを損なえば企業はダメージを受ける。東京メトロの職員をイメージしたキャラクターが、とろけた瞳に上気した頬で身体をくねらせ、不自然に身体に張り付いた制服を着ていれば、それは東京メトロの女性職員に期待されるのは運行の専門家であることではなく、乗客に性的癒しを与えるホステスだというメッセージだ。
ゲイを連想させるキャラクターが企業に不適切だということではない。田亀先生の描くガチムチマッチョは単なる男性ではなく、寺沢武一の描く女性同様セクシーなセックスシンボルだからだ。業務上顧客の幻想を叶えるセックスシンボルであることを求められる職場でない限り、こうしたイメージは不適切だ。
たとえば、東京メトロが乙武さんをモデルに起用したら、どうなのでしょうか。
自己決定
言うまでもないと思いますが、乙武さんは障害者のアイコン的な存在です。彼をモデルに起用するということは、職員に期待されるのは五体不満足であるというメッセージになるのでしょうか。東京メトロが職員にそのような期待をしていないのならば、彼を含む障害者をモデルに起用すべきではないのでしょうか。
もし、乙武さんが見世物小屋で働かされている人なら、くたびれはてこさんのおっしゃる通り、モデルに起用するのはよくないと思います。でも、彼は彼の生き方を自己決定しているように見えます。ならば、それを尊重するのが自由主義というものでしょう。
たとえば、イスラム社会において、ブルカを含めた慣習に反対する女性モデルが「ブルカを着用しないのは性的で不適切」という理由で、公共機関からの仕事を奪われたらどうでしょうか。
……あ、イスラム社会は自由主義じゃないから、まあ、それはそれで彼らの法としては問題ないから、まあいいか。
閑話休題。
ある女性がセックスシンボルとして生きることを自己決定したのであれば、それを尊重するべきだと思いますし、LGBTについても同様だと思いますし、彼や彼女がモデルになったことで、その企業からのそのようなメッセージだと受け取ってほしくないと思います。
その受け取ったメッセージは「偏見」と呼ばれるものです。できれば捨ててください。
パターナリズム
なお、個人的には、駅乃みちか問題については、あまり支持できないです。
そこに女性の自己決定が見られない、という理由です。
しかし、たとえば、駅乃みちかを貞淑なキャラとして表現したとしても、やはりそこには女性の自己決定が見られないのではないかと思います。それはそれで、男性から見て都合のよい女性キャラなのではないかと思います。
そう考えると、くたびれはてこさんのご意見はある種のパターナリズムである、と言えるでしょう。
お父さんが「そんなはしたない格好で外を歩くんじゃない」と娘に言うようなものです。フェミニズムが嫌う言説だと思います。
私も含めたリベラル全般が陥りやすい罠ですが、「XXXXは愚かで弱いから私が守ってあげなくては」というバイアスは大事な物を見逃すことがあると思います。
もちろん、「女性は愚かで弱いから私が守ってあげなくては」という考え方自体が、全部ダメだとは思わないです。適切な線引きをすることによって、男女差別を解消していくことができるでしょう。
でも行きすぎは毒です。