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不動産屋のラノベ読み

不動産売買営業だけどガチガチの賃貸派の人のブログ

ウェブモンクは成り立つか

 
 この人、浮世離れしすぎです。
 

いろいろウェブサービスとか作るのは好きだけどできるだけそれをお金と関係ないところに置いておきたいというのがあるんですよね。

僕が仕事を辞める勇気を持てた理由 - phaの日記

なんかギリギリであるからこそ得られる強さがある気がするんですよね。必然性が大事とか。自分の皮膚感覚でよくわかんないことははねのける直感力とか。

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よくわかんない。そもそも数十年後のこととかよくわかんないし。僕は2週間先くらいまでのことしかリアリティを持って考えられないみたい。リアリティとか必然性を感じられないことはしたくない(自分が濁るので)。

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 読んで連想したのは、出家僧の生き方でした。
 そもそも、仏教の僧侶というのは生産したりサービスを提供したりすることはなくて、ただひたすら世界の衆生を救う活動をしていたんです。で、生活はどうしていたのかというと、在家の人たちからのお布施に頼っていたんですね。
 ところで、出家の人たちは、そのお布施を頂いた人たちの幸せを願うとかそういうサービスをしていたわけではなくて、原則として「世界の衆生を救わんとする人は尊いのでお布施をする」という構図だったのです。まあ、もちろん「貧者の一灯」を見れば明らかですが、そういう行為には功徳があるとされていたわけですが。
 
 さて、現代日本において、こういった生き方は成り立つでしょうか。当の僧侶達が「葬儀サービス業」になってしまった今*1、ただWebで面白い事をするだけの聖、いわばウェブモンクが存在する余地はあるでしょうか。仕事をせず、生活はドネーション*2に頼り、清貧を守り、製作物は無償で世界に提供し、得られるものは尊敬だけ。「Webを面白くしてくれる」から、という理由だけで在家の人がウェブモンクにお布施をする。そんなコミュニティは存在できるでしょうか。
 残念ながら、ちょっとあり得なさそう、というのが私の結論です。なぜなら、リアルモンクが備えていた「功徳」という武器がウェブモンクにはないからです。「ウェブモンクにドネーションすれば回りまわっていいことあるよ!」という教義は、現代日本において無理があると思うのです。なにか、代替となる教義を開発できればいいのですが。
 仏教の国だからこそできるコミュニティ、実現したら面白いと思うのですが所詮SFネタ止まりなんでしょうね。

*1:サービス業のくせに「お布施はお気持ちです」とか、ぬかしやがれ、と思いますよね

*2:この言葉の語源は「お布施」という意味の梵語、と言われてます