グーグルの達成は、科学者が「知性の研究」に対してどういう態度を取るべきかについてシリアスな問題提起をしている、と茂木は言う。
グーグルは「とにかくやれることは全部やる」という姿勢で、人間の脳とはぜんぜん違うシンプルな原理に基づきながら、安価になったコンピュータ資源を無尽蔵に並べ、「世界中の情報をすべて整理し尽くす」というゴールを掲げ、既にあれだけのものを作り上げてしまった。
我々科学者の「ロマンティックな研究態度」が脅(おびや)かされているんだ、いやもう敗れてしまったのではないか。
「ロマンティックな研究態度」とは、物事の原理を理論的に美しく解明したいと考える立場のことである。
http://www.shinchosha.co.jp/foresight/web_kikaku/u127.html
まず、賛同しました。はてブでid:yharaさんもコメントしていましたが、四色問題を思いだしたからです。あれの解法はコンピュータによる力技だった、と聞いていましたので*1。
しかし、少し考えて、やはり、エレガントな方法を追求する「ロマンティックな研究態度」こそが基盤であると、思い直しました。
以下、理由。
- 同じ量の計算資源で情報を処理するなら、「しらみつぶし」より「エレガントな方法」が速い。
- 「しらみつぶし」は後代に知識のストックを残しづらい。
1番目は当たり前ですね。
ですから、ある問題が解くときに、「エレガントな方法の発見コスト」+「エレガントな解法コスト」対「しらみつぶし解法コスト」の見積が大事になってくるような気がします。
2番目は、ちょっとどうなのか分からないのですが、「しらみつぶし」は知識の蓄積が少ないのではないかなと。「しらみつぶし」の方法論的な発展や、データ収集についての知見が深まるかもしれませんが、同じような問題を解く時に結局また「しらみつぶし」を繰り返さなければいけないような。
例えば。
πの導出法がモンテカルロ法しかない世界があったとします。その世界でもπの計算競争があったりするのですが、だれもアルゴリズムの改善をせずに、ただひたすら計算資源の拡大を競争しているんです。
こういう世界、すごく非効率に感じます。何と言うか、もったいないです。
つか、何だか、ディストピアに近い感触があります。面白くない。個人的には嫌いです、こういうの。
そういうわけで。
個別の問題については、「エレガントに解くかどうか」の見積が大事、ということで良いのですが、後の人類の為にも「エレガントに解く」が王道であって欲しいな、と思います。
*1:数学屋さんのつっこみお待ちしております