不動産屋のラノベ読み

不動産売買営業だけどガチガチの賃貸派の人のブログ

情報公開の必要性について

 

先にぼくの主張の結論を書くと、現状の情報公開制度は本来目指したいメリットは、ほとんど得られない上に、デメリットだけはとても大きいということだ。

kawango.hatenablog.com

情報公開による不正を減らすという目的は、究極的には国民の税金の無駄遣いを減らすということが一番大事だろう。不公平をなくすということは大事だとしても、平等にお金を無駄遣いするというのが目的ではないはずだ。

 
 細かい制度設計のことは置くとして、国を信頼しすぎかな、と思いました。
 

国がいつもあなたと同じ方向を向いているとは限らない

 思考実験をしましょう。
 
 たとえば。
 排他排中的な二つの政策AとBがあったとします。
 排他排中的なので、AとBのどちらかは実行せねばならず、両方を実行することはできません。
 AとBともに、実行されれば国に1兆円の利益があります。
 
 さて、ここで政策Bが実行されることになりました。
 ところが、政策Bではid:kawangoを殺すことが前提となっていました。
 そして、政策Aでは私、id:Lhankor_Mhyを殺すことが前提です。
 そしてどうやら、id:Lhankor_Mhyが不正な手段を持って政治に働きかけ、政策Bが採用されたようです。
 この不正を調査するには1億円がかかります。
 
 この調査が必要であるかどうか、国が判断するのであるなら、国の利益を第1に考えるしかないでしょう。
 そして、国の利益を考えるなら、調査をせずに政策Bを実行し、id:kawangoを殺すのがベストでしょう。
 id:Lhankor_Mhyの不正を調査することは、揚げ足取りであり、無駄です。
 id:kawangoが調査をあきらめれば、国のために自ら犠牲となった、とみなの尊敬をあつめるかもしれませんね。
 
 
 功利主義は、私も好きな考え方の一つです。
 ですが、その「功利」の測定について、各時代の賢人が頭を悩ませ、未だに結論がでていない難問でもあることを知っています。
「最大多数の最大幸福」は、その達成が難しい、というレベルの話ではなく、その存在を確認することさえが難しいのです。