ハイコンテキストすぎて私信みたいなものなので、↓こちらを読んでいない人はスルー推奨です。
流行期には発熱患者の6割とか8割とかがインフルエンザである*3。仮に70%の確率でインフルエンザである患者さんに対し感度が80%の検査を行い、結果が陰性だったとしよう。この患者さんに対して「あなたはインフルエンザではないので熱が下がったらすぐに出勤していいです」と言っていいだろうか?
こうした患者さんが100人いたらそのうち70人がインフルエンザだ。この70人のうち検査陽性は70×0.8 = 56人、検査陰性は70-56 = 14人。インフルエンザではない30人は全員検査は陰性である*4。陰性の結果が出た14+30 = 44人のうち、インフルエンザではないと正確に診断できるのは30÷44 = 約68%である*5。検査だけでインフルエンザではないと診断してしまったら、残りの3割強の患者さんがウイルスを巻き散らすことになりかねない。
d.hatena.ne.jp
(略)
それはそれとして、インフルエンザの流行期には「検査で陰性なら解熱してすぐに出勤してもよい」「他人に感染させないためにも積極的に病院を受診して検査を受けたほうがよい」という方針は医学的には不正確で、かえって流行を促進しかねないことが周知されればありがたい。
これは本当だろうか、と感じたので記事を書きます。
主題
id:NATROMさんの
インフルエンザの蔓延防止が目的なら、流行期の発熱患者は検査の結果に関わらず、インフルエンザであるとみなして対応するのが望ましい。すなわち、発症してから5日間かつ解熱して2日間は出勤せずに自宅で安静にする。
というご意見に同意します。
しかし、
インフルエンザの流行期には「検査で陰性なら解熱してすぐに出勤してもよい」「他人に感染させないためにも積極的に病院を受診して検査を受けたほうがよい」という方針は医学的には不正確で、かえって流行を促進しかねない
というご意見には異論があります。
検査陰性に対する見逃したインフルエンザ患者の割合は重要か
まず、疑問に思うのは、
陰性の結果が出た14+30 = 44人のうち、インフルエンザではないと正確に診断できるのは30÷44 = 約68%である
の部分です。この68%という数字は指標になるのでしょうか。
全体で10万人いたとして、100人が発熱し70人がインフルエンザ患者、検査の感度が80%とすると、id:NATROMさんの計算のとおり、約68%です。
さて。
ここで、インフルエンザ以外の風邪が流行り、200人が発熱したとしましょう。この人たちも検査を受けに行きますがインフルエンザ患者ではありませんから、結果は陰性です。
200人が発熱し70人がインフルエンザ患者、検査の感度が80%とすると、130÷144 = 約90%となり、インフルエンザ以外の風邪流行によって検査の信頼度が上がったことになります。
おかしくないですか?
また、インフルエンザの大流行により「少しでもせきや鼻水が出たら検査を受けるように」というお達しが学校や会社から出たとしましょう。
その結果、1000人が検査を受けに行き、200人が発熱、70人がインフルエンザ患者、検査の感度が80%とすると、930÷944 = 約98.5%となります。つまり、症状がなくてもどんどん検査に行った方がいい……
おかしくないですか?
見逃したインフルエンザ患者の数や、あるいは集団全体に占める見逃したインフルエンザ患者の割合を見るべきではないでしょうか。それなら、どのケースでも同じ値になります。
「他人に感染させないためにも積極的に病院を受診して検査を受けたほうがよい」という方針はダメなのか
次に疑問に思うのは、ここです。
「他人に感染させないためにも積極的に病院を受診して検査を受けたほうがよい」という方針は医学的には不正確で、かえって流行を促進しかねない
「医学的に不正確」なのはそのとおりなんだと思います。私もよりによってid:NATROMさんに医学で論争を挑むほど身の程知らずではありません。
しかし。
この「かえって流行を促進しかねない」というのは本当でしょうか。
非常に雑で極々極めて簡単なモデルを考えてみましょう。
- 集団人口100,000人
- 発熱患者100人
- うちインフルエンザ患者70人
- インフルエンザ患者は2日間発熱し、5日間感染力を持つ
- 検査の感度は8割
- 検査陽性となった場合、5日間自宅で休養し誰にも感染させない
- 検査陰性となった場合、2日間自宅で休養し3日間活動する。それがインフルエンザ患者ならその間に2人に感染させる
- 検査を受けなかった場合、2日間自宅で休養し3日間活動する。それがインフルエンザ患者ならその間に2人に感染させる
このモデルで誰も検査に行かなかった場合、全インフルエンザ患者がそれぞれ2人に感染させるので、次世代のインフルエンザ患者は140人になります。
逆に、100%の発熱患者が検査を受けた場合、インフルエンザ患者の内 70 × ( 1 - 0.8 ) = 14人がそれぞれ2人に感染させるので、次世代のインフルエンザ患者は28人になります。
めちゃめちゃインフルエンザ蔓延予防に役に立ってますよね。
id:NATROMさんはどのようなモデルを考えたのでしょうか。
インフルエンザの蔓延防止が目的なら、流行期の発熱患者は検査の結果に関わらず、インフルエンザであるとみなして対応するのが望ましい。すなわち、発症してから5日間かつ解熱して2日間は出勤せずに自宅で安静にする。
そういうことでしょうね。
モデルを再構築してみましょう。
- 集団人口100,000人
- 発熱患者100人
- うちインフルエンザ患者70人
- インフルエンザ患者は2日間発熱し、5日間感染力を持つ
- 検査の感度は8割
- 検査陽性となった場合、5日間自宅で休養し誰にも感染させない
- 検査陰性となった場合、2日間自宅で休養し3日間活動する。それがインフルエンザ患者ならその間に2人に感染させる
- 検査を受けなかった場合、5日間自宅で休養し誰にも感染させない
このモデルで誰も検査に行かなかった場合、全インフルエンザ患者を含む全発熱患者が休養するので、次世代のインフルエンザ患者は0人になります。
逆に、100%の発熱患者が検査を受けた場合、インフルエンザ患者の内 70 × ( 1 - 0.8 ) = 14人がそれぞれ2人に感染させるので、次世代のインフルエンザ患者は28人になります。
めちゃめちゃかえって流行を促進してますね。
とはいえ。
現実に「熱は治まったけど、インフルエンザだったかもしれないし、あと3日休もう」という人たちが100%を占めるということはないでしょう。
モデルを再構築してみましょう。
- 集団人口 p 人
- 発熱患者 f 人
- うちインフルエンザ患者 d 人
- インフルエンザ患者は2日間発熱し、5日間感染力を持つ
- 検査の感度は8割
- 検査陽性となった場合、5日間自宅で休養し誰にも感染させない
- 検査陰性となった場合、2日間自宅で休養し3日間活動する。それがインフルエンザ患者ならその間に n 人に感染させる
- 検査を受けなかった場合、「休養割合」r の発熱患者が5日間自宅で休養し誰にも感染させないが、( 1 - r ) の発熱患者は2日間自宅で休養し3日間活動する。それがインフルエンザ患者ならその間に2人に感染させる
このモデルで誰も検査に行かなかった場合、インフルエンザ患者の内 d × ( 1 - r ) 人がそれぞれ i 人に感染させるので次世代のインフルエンザ患者は d × ( 1 - r ) × n 人になります。
逆に、100%の発熱患者が検査を受けた場合、インフルエンザ患者の内 d × ( 1 - 0.8 ) 人がそれぞれ2人に感染させるので、次世代のインフルエンザ患者は d × ( 1 - 0.8 ) × n 人になります。
せっかくですから、検査を受けに行くか否かで次世代のインフルエンザ患者が変わらない、「休養割合」r を求めてみましょう。
d × ( 1 - 0.8 ) × n = d × ( 1 - r ) × n
r = 0.8
まあ、求めるまでもないですよね。式をごらんいただければ分かるとおり、インフルエンザの感染力や、インフルエンザ患者の割合・数、発熱患者の数に依存しません。
この非常に雑で極々極めて簡単なモデルですと、「休養割合」r が検査の感度(80%)を上回る場合に『「他人に感染させないためにも積極的に病院を受診して検査を受けたほうがよい」という方針は、かえって流行を促進しかねない』と言え、下回るの場合は蔓延予防になると言えます。
もちろん、現実はこのモデルとは違って、陽性だというのに外に出たり、検査を受ける前に他人に感染させたり、症状のない感染者がいたりするわけで、計算どおりにはいかないでしょう。
「じゃあもう、休んでもムダなんじゃね?」と言いたくなりますよね。
ただ言えることは、「休養割合」r が 1.0 の状態がインフルエンザ蔓延予防目的には最上であり、そのためには「検査で陰性なら解熱してすぐに出勤してもよい」は排除しなくてはならない、ということです。
そうなった場合には陽性だろうと陰性だろうと発熱があれば休むのですから、検査は『かえって流行を促進しかねない』と言えるでしょう。同様の理屈で、ワクチンもインフルエンザを軽症化し、感染者を不可視化するので、『かえって流行を促進しかねない』と言える、かもしれません。
しかし、その最上に至る過程の状態においてはその限りではないと思います。
戦争が存在しないことが最上であり、そうなった場合には戦争をしないのですから、軍事力はかえって戦争を促進しかねない(ただし現状ではその限りではない)、みたいな話でしょうか。
個人の行動選択としては、あなたの周辺が「熱は治まったけど、インフルエンザだったかもしれないし、あと3日休もう」という行動に許容的であれば検査を受けない方がよく、否定的であれば検査を受けに行って陽性の結果を勝ち取るのが最適と言えるでしょう。
クソ当たり前すぎる結論ですが。
コメントを受けて追記
id:NATROMさんからコメントを頂いたので、その応答を追記します。
検査対象者の有病割合(検査前確率)が低いほど陰性反応的中割合は高くなります。
異論ありません。
わざわざ検査を受ける意義に乏しいです。
異論ありません。
ここでは、陰性的中率がインフルエンザ検査の蔓延予防効果の適切な指標になりえるか、ということを書いていました。
コメントの最後の段を読んで、NATROMさんは「インフルエンザ検査の蔓延予防効果の指標」として書いていたのではなくて、検査陰性の不確実性を周知するためだったのだ、と理解しました。
ありがとうございました。
検査を目的に受診するインフルエンザ患者の増加は病院への行き来や待合室で他の人にインフルエンザを感染させるリスクを増やします。また、検査を目的に受診するインフルエンザではない患者の増加は待合室で自身がインフルエンザに感染するリスクを増やします。とくに流行期はそうです。その点をご考慮いただけたらありがたいです。
おっしゃるとおりです。
インフルエンザワクチンの集団免疫効果は疫学研究で示されています。「ワクチンは流行を促進しかねない」という主張は間違っています。
おっしゃるとおりです。私も本気で「前橋レポート」みたいなことを考えているわけではないのですが、不用意な書き方だったと思います。
ちなみに私の外来に受診していただけたなら原則として検査なしにインフルエンザと診断して5日間自宅で休養していただきます
それは素晴らしい。
「他人に感染させないためにも積極的に病院を受診して検査を受けたほうがよい」という方針は医学的には不正確であることを周知する必要があります。診察室内でご説明してもほとんど意味がないんですよ。そんなことを言われても個々の患者さんはどうしようもないでしょう。
『会社内や組織内でインフルエンザが蔓延するリスクを負いながら、休養をしない、あるいは休養をさせない、という選択をせざるを得ない事情があるのは理解できる。しかし、「検査で陰性なら解熱してすぐに出勤してもよい」という方針は、一般にリスクが低く見積もられすぎ、不要なリスクを負っている傾向にある。「インフルエンザ蔓延リスクを可能な限りコントロールしたいならば、検査を受けずに休養するべき」と周知した方がよい』
というような理解で、おおむねよろしいでしょうか?