読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

不動産屋のラノベ読み

不動産売買営業だけどガチガチの賃貸派の人のブログ

コンビニ店長さんのディズニーホスピタリティ批判を読んで、感情労働について思うこと

 

 でも、やっぱこの本には、某遊園地屋のやりかたには反発を覚える。なぜ反発を覚えるのか、ということをひとりよがりに書いてきたつもりなんだけど、うまく書けたかどうかは自信ない。文章の締めを考えるにあたって「けっこう似たようなことやってんのに、なんでここまで嫌うんだろう、嫌う権利があるんだろう」って、いまあらためて考えてるんですけども、これだ!といううまい結論が思いつきません。

http://lkhjkljkljdkljl.hatenablog.com/entry/2013/06/28/213454

 これ、とてもいいなあ、と思ったので記事を書きます。
 

振る舞いか内心か

 この前もこういう記事を書いたとおり、この業界に来る前に飲食業界にいたことがあるんですね。「山海太陽(仮称)」という美味しさと接客のよさを売りにしてるチェーンです。就業前に企業方針を唱和するんですけど、これがまた「お店全体が善意に満ち溢れ 誰に接しても親切で優しく明るく朗らか」みたいな感じでして。
 それで、店長なんかをやってたものですからバイトさんのトレーニングなんかをするわけで、美味しさへの挑戦秘話的な教育ビデオなんかがあってそれを見せながら「ウチの商品は絶対に美味しいから。そう思って接客してれば絶対伝わるから」みたいなことを言ってたわけなんですよ。
 
 しかしよく考えると、これは少し変ですよね。バイトはお金をもらうためにやってるんですが、お金をもらうためにある食べ物について美味しいと思い込まなきゃいけないことになります。
 食べ物の好みって人それぞれで、いや、たしかに美味いですし特にホットドッグだけはぜひ食っとけって今でも思うんですけど、それでもそういう趣味嗜好についての変化を求められるっていうのは、ちょっとアレだよなあっていう。
 
 結局、内心に立ち入るかどうか、っていう話だと思うんです。「お客様を神様のように扱え」というのは振る舞いの問題ですから内心に立ち入っていませんが、「お客様を神様だと思え」というのは内心に立ち入っています。

 説明のしかただって大差ない。「お客さんに揚げ物を売って、その人が別のときにおいしいって言ってくれたら嬉しいだろ」って言うかわりに「レジだけ打ってるんだと、ほんと仕事って苦痛だから、入口からお客さんが入ってきたらロックオンして揚げ物を買わせるゲームを始めるつもりでやったほうがいい。売れば気分がいい」って説明する。

http://lkhjkljkljdkljl.hatenablog.com/entry/2013/06/28/213454

 だから、店長さんのこれって大差ないなんてことはなくて、「求められている内心に近づけ」というトレーニングと、「どうやったら求められている振る舞いができるか」っていうトレーニングとでは、意味が違ってくるわけなんです。
 
 この内心に立ち入られる労働の仕方を「感情労働」と呼んだりします。

 感情労働(かんじょうろうどう、Emotional Labour)は、肉体や頭脳だけでなく「感情の抑制や鈍麻、緊張、忍耐などが絶対的に必要」である労働を意味する。

感情労働 - Wikipedia

 

接客マニュアルは振る舞いを定義する

 きちんとした接客マニュアルがあれば、内心になるべく立ち入らないようできます。「こういう状況ではこのように行動せよ」という振る舞いの定義をしておけば、内心がどうあれ求められている接客を達成することができます。もちろん、マニュアルどおりの接客ですから心はこもっていないわけです。そういう機械的なマニュアル接客を嫌う人もいますけど、あれって「俺に気を使えよ」って意味だということ分かって言ってんのかな、とたまに思います。
 あ、もちろん、現実には接客から全ての感情労働はなくすなんて無理な話ですけどね。イヤな客が来たとしても我慢しなきゃいけないし、イレギュラーは排除できない。だから機械じゃなくて人間を雇ってるんですし、それは仕方がないです。
 

感情労働は必要

 ここまで読んでいただいた方は、私が「感情労働は必要悪」だと主張しているように思うかもしれません。
 実はそうではなくて、それでもしかし、感情労働は必要だ、と思っています。
 
 機械的なマニュアルどおりのサービスを好む人も結構いますが、やはり心のこもったサービスを求める人がいなくなることは考えられないです。
 ホスピタリティに対する需要は確実にある、これは間違いないと思うので、感情労働をする人も必要なんです。
 ただ、気働きというものは、人間の心というものには差があるんです。だから、心のこもったサービスというのは均質化しないはずなんです。あるお客様に対する態度がAさんとBさんとでは違う、これは心がこもっていればいるほど当然のはずです。
 もし、均質化されかつ心のこもったサービスを提供しようとするなら、従業員全員を同じ人間でそろえるしかないです。もちろんそれは無理ですから、同じような精神状態に置く、同じような価値観を持つようにする、そうやって内心に立ち入ってインストールし均質な心のこもったサービスを実現していくしかない。
 
 ここまで読んでいただいた方は、私が「インストールされた感情労働は必要悪」だと主張しているように思うかもしれません。
 実はそうでもなくて、やはりそういう仕事はどこかで求められるんですよ。そして、そういった仕事をすることがいけないとは思いませんし、そういった労働をさせることがいけないとも思いません。
 じゃあ、私はどこに問題点があると考えているのか。
 

3つの問題点

 3つの問題点があると考えています。というか、これ、接客業だけの話でもないと思いますけれども、まあ程度問題ではありますよね。
 

ワナビー搾取はやめよう

 必要とされる内心に近づけていくために、「インストールされた状態」をとても素晴らしいもの、と評価しがちです。「お客様に喜んでもらえてお金ももらえる、接客サービスは素晴らしい仕事だ」みたいな。自己評価が低く何かになりたい誰かに必要とされたいワナビー系の人たちが、自己実現の目標に「インストールされた状態」を置いてしまうことがあり、いやむしろ狙ってるんじゃないかということもあり、搾取されがちです。
 

ドロップアウトで燃え尽きやすい

 この過程でドロップアウトしてしまうと、前述の通り「インストールされた状態」を美化しがちですから、目標を見失ったり自分が出来損ないになったように思えることがあります。特にワナビー搾取されてからのドロップアウトは、ツブシの利くようなスキルも身につかずお金もなく、となることがあると思います。
 

感情労働はもっと評価されるべき

 必要とされているわりに、そして「インストールされた状態」を素晴らしいものとしているわりに、金銭的には報われないことが多いです。誰にでもインストールできる、と雇用者は思っているからかもしれませんが、「インストールされた状態」に到達する、そしてその状態をメタ視しながら継続し他者にもインストールしていける人は、ある種の精神的特殊技能の持ち主です。これは現場でトレーニングをしている人は同意してくれると思います。こういう人たちはもっと評価されるべきです。