不動産屋のラノベ読み

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更新料訴訟・大阪高裁判決を読む(2) - 何で更新料を受け取るのがいけないの?

 
 前回のエントリでは、「更新料は単なる更新時の費用でしかない」という判断がなされているところまで読みました。
 じゃあ、しかし、何故「更新時の費用」を受け取る契約は違法になるのでしょうか。今回はそのあたりから。
 

消費者契約法10条後段

 更新料の訴訟でしばしば争点となるのが消費者契約法10条後段です。

第十条  民法 、商法 (明治三十二年法律第四十八号)その他の法律の公の秩序に関しない規定の適用による場合に比し、消費者の権利を制限し、又は消費者の義務を加重する消費者契約の条項であって、民法第一条第二項 に規定する基本原則に反して消費者の利益を一方的に害するものは、無効とする。

消費者契約法

 前段の部分、「消費者の義務を加重する消費者契約の条項」であることについては、原審でも裁判所が認めていますので、問題は強調した後段部分になるわけです。
 そこで、主な2点において、原審と控訴審の判決を比べてみましょう。
 

更新料の負担は過大であるか

 更新料の負担が過大であるかどうかについて。
 原審では

 本件賃貸借契約における更新料の金額は10万円であり,契約期間(1年間)や月払いの賃料の金額(4万5000円)に照らし,過大なものではない

 
 控訴審では

 本件賃貸借契約の期間が借地借家法条認められる最短期間である1年間という短期間であるにもかかわらず、本件賃貸借契約における更新料の金額は10万円であり、月払の賃料の金額(4万5000円)と退避するとかなり高額といいうる。

 と、まるで逆です。
 

更新料の認識があったか

 更新料がどのようなものであるかについて、
 原審は

 更新料に関する報道が広く行われることなどを通じ,消費者が更新料の性質についての認識を深めていくことが考えられるし,不動産賃貸借の市場がその機能を十全に発揮すれば,賃貸業者の間で,更新料に関する競争が行われることが考えられる

「更新料を知らなかったとしても事前に調べることはできたでしょ」

 賃貸人に対して更新料に関する約定に関する説明が十分に行われなかった場合(中略)上記約定が消費者契約法10条により無効とされることが考えられないではないが,本件賃貸借契約の締結に至る前判示のとおりの経緯,本件更新料約定の内容には,そのような事情は認められない。

「説明が不足してれば無効だろうけど、説明が足りなかったという証拠はなさそうだね」
 
 これに対し控訴審

 これまで、全国の建物の賃貸借契約の一部において、更新料名下に金銭の授受がされてきたことは否めない。ところが、それらの事実関係は様々であり必ずしも全ての更新料と呼ばれるものについて全く同一の議論をする事ができない

「一口に更新料といってもその内容はそれぞれだから、ある契約の更新料の事を知ってたとしても、この契約ではそれは関係ないよね」

 本件全証拠によっても、本件賃貸借契約において、控訴人が賃料以外に本件物件の使用収益に伴い出捐することととされる本件更新料約定が置かれている目的、公的根拠、性質は明確にされていない。

「この契約での更新料の説明がなされていないわけだから、説明不足としか言えないね」
 
 まとめると、原審が
「更新料とは何であるか知る機会は十分あったし、更新料が契約に存在することについて認識がなかったという証拠がないよね。有効」
 これに対して控訴審
「更新料が契約に存在することは知っていても、それぞれの契約によって更新料の意味合いが違うんだから、この契約での更新料がどのようなものかという認識があっての契約ではないよ。無効」
 ということです。
 

その他の興味深い指摘

 控訴審判決にはその他にも興味深い部分があったので、転記しておきます。
 

 消費者契約法が立法された下で、改めて借地借家法強行規定の存在を意識しつつ本件更新料約定を見直してみると、この約款は、客観的には、賃借人となろうとする人が様々な物件を比較して選ぶ際に主として月払の賃料の金額に着目する点に乗じ、直ちに賃料を意味しない更新料という用語を用いることにより、賃借人の経済的な出捐が少ないかのような印象を与え
(中略)
法律上の対価である家賃額を一見少なく見せることは、消費者契約法の精神に照らすと許容されることではない。

「更新料を取ることによって、見た目の賃料が少ないように思わせるのはよろしくないんじゃね?」
 これは、私が以前のエントリで指摘していた点ですね。そのとおりだと思います。
 
 もう1点は

 ところで、借地借家法28条によれば、同条所定の要件が充たされる限り、同条による法定更新がされ、同条が強行規定であることは同法30条の明文上自明であり、
(中略)
控訴人がこの事を知っていた事を示す証拠はなく、むしろ、前述の控訴人の状況に照らせば、控訴人はこのような法律上の定めを知らなかったことが推認できる。
(中略)
 こうしてみると、本件契約条項第21条は、少なくとも客観的には、情報格差があり、情報収集力のより乏しい控訴人から、賃貸物件の更新に関する借地借家法強行規定の存在から目をそらさせる面があるといわれてもやむを得ないということができる。

「更新時って何も払わなくても、法律上、借主が圧倒的に強いのに、それを黙って更新の時には更新料支払わないとダメだよみたいな契約をするのは、消費者契約法上おかしくね?」
 これは、私にはない視点でしたね。いや、確かにその通りかも。
 

判決の感想

 まあ、大まかに言って、以上のような裁判所の判断だったのですが、みなさんいかがでしたでしょうか。「説得力のある判決」だと感じた人が多いのではないでしょうか
 実は私もそうです。原審と控訴審の判決を読み比べてみると、明らかに控訴審の方が無理がないように感じました。
 
 しかしながら、この判決を支持するか、ということになると「いささか微妙」と言わざるを得ません。
 この判決のまま確定すれば、この大家さんはおそらく全ての物件の入居者に全ての更新料を返還請求されます。そして、同じ契約書を使用しているであろうこの仲介会社での契約も同じようになるでしょう。それどころか、全国で同じような事が起こるかもしれません。
 この判決をもって社会は大きく変わるわけですが、しかし、裁判所が社会を変えることは良い事なのでしょうか。私はかなり疑問です。
 これが、例えば法改正によってなされるのであれば納得がいきます。法改正は我々が選んだ国会議員によってなされるのであり、我々は国会議員が社会を変えることについて合意しているはずです。
 しかし、裁判所が社会を変えることについて、我々は合意しているのでしょうか
 司法以外の国家権力については、間接的にせよ我々が選んでいるのでその権力には正統性を認めやすいです。しかしながら司法については、その正統性はどこから来るのか、と考えた時になかなか複雑です。
 私が考えるに、我々は裁判所に対して正統性を認めているのではなくて、法とその理論に対して正統性を認めているのだと考えます。そして、法とその理論に対しての正統性は何に由来するのかというと「昔からそうだった」に由来すると考えています。
 簡単に言うと「昨日悪いことだったことは、今日も悪いこと」ということに合意している、ということです。一貫したルールによってならば、裁かれる事を許容しよう、というものだと思います。
 そう考えた時に、過払請求の時も同じ事を感じましたが、裁判所が今までの慣習を蹴って「それは悪いこと!」と社会を変えるのは、ちょっとどうなの、と言いたくなるのです。
 もちろん、今までの慣習は潜在的に「初めから悪習」であり、その判断が明らかにされただけという解釈も成り立つと思いますけど。
 
 
 
 これが裁判員での裁判なら、まだ「市民の代表が法理に新しい解釈を付け加えた」とまだ納得がいくんだけどなあ。
 
 
 
 次は、じゃあ、更新料どうなっちゃうの?という話をしようかと思います。でも、ちょっと疲れた。