不動産屋のラノベ読み

不動産売買営業だけどガチガチの賃貸派の人のブログ

エロゲは女性に対する侮辱か

 
 意外と、これは悩ましい問題だと思います。
 

人権団体の人たちは、「ポルノグラフィーによって直接的に性犯罪の頻度が上がる」ことを心配しているというよりも、「ポルノグラフィーによって女性への偏見(女性を性的なモノとしてとらえる)が再生産され、女性への暴力が軽く見られる社会情勢がつくられる」ことのほうを心配している(んだと私は考える)

実際に性犯罪が増えるか減るかは(あまり)問題じゃないんだってば - Chambre Resonnante

 ブクマコメにも書きましたが。
「日本女性はレイプされるとよがる」というようなエロゲを、例えばアメリカなり中国なり韓国なりで発売したり、あまつさえamazonで買えたりしたら、たぶん不快です*1。私なら、これは日本女性に対する侮辱と感じます。たとえ製作者に「これはフィクションであり、現実とは違う。日本女性へのレイプを奨励するものではないし、そのような行為を助長するというデータもない」と言われても納得しがたいでしょう。
 ところが、ここから日本を取ってしまうと、つまり「女性はレイプされるとよがる」というようなエロゲだと、私は女性に対する侮辱と感じません。たぶん、「日本」が取れることによって、「我々のこと」ではなくなるのだろうと思います。
 ところで一方、女性としては「日本」が取れても「女性」が残っているわけで、まあ、数千万が数十億になるので、「我々のこと」と感じない方の方が多いのかもしれませんが、そうでない人、つまり女性に対する侮辱と取る人がいてもおかしくないでしょう。そして、その侮辱「強度」は、「日本女性はレイプされるとよがる」というようなエロゲに対する不快と同等であっても驚くことではないわけです。
 そして、先ほども示しましたとおり「フィクションだし、犯罪を奨励しないし」という説明は、特に効果がない、というかむしろ怒りを煽りそうです。また、ゾーニングが解決手段になるか、という問いに対しても、「わかりました。日本人の目に触れないところでゆっくり楽しみますので、もう口を挟まないで下さい」と言われる事を想像してみれば、答えは否定的でしょう。
 
 つまり、まあ、お互いにあまり譲れるところがないので、解決は難しい問題ではないでしょうか。摩擦は不可避と感じます。ただ、少なくとも言えるのは、かの人権団体に「不快だろうけどガマンしろ」という人は、いつか自分にも何かをガマンするターンが来るということです。それが表現の自由を守る覚悟というものでしょう。
 
 

追記20090510

 どうも、伝わっていない感があったので、簡単に追記。
 今回のは、創作物の裏側にセクシャルな差別を感じるという問題だったわけで、そうしてみるとレイシャルな差別を創作物に感じる問題というのも、直結はしないものの連続した問題として存在するわけです。
 ということは、「自分のターン」に必要な覚悟とは、「創作物に自分が被差別側となるレイシャルな差別を感じた時どうするか」というものであるはずです。その「自分のターン」に、「自分の被差別感よりも表現の自由」とガマンする事ができるか、もし「それは差別だ!」と主張するならば「自分が感じなかったセクシャルな差別」を是として「自分が感じたレイシャルな差別」を否とすることについて納得できるような説明ができるか、ということだと思います。
 
 個人的には、自分が差別されていると感じたとしたら黙っていられない方なのですが、それを正当化するうまい説明を持ち合わせていません。ですので、かの人権団体に「表現の自由の方が重要だろ」と強く言うのをためらってしまうところがあります。
 

追記20090510

 もう少し書きます。
 
 セクシャルな差別とレイシャルな差別は連続した問題、と前述しましたが、差別全体がなめらかに接続しているとは考えていないです。許容できる範囲と許容できない範囲とで、鋭い変化がある境界領域が存在すると思います。
 そして、そのなめらかではない部分が人によって異なるということが問題を生むのは明らかです。
 
 別の話になりますが、不法接触という言葉がありますが、そのボーダーの事象、たとえば「女性の尻を撫でる」という接触は状況によって不法接触になったりならなかったりするわけですが、そうではなくてたとえば「鈍器で力いっぱい殴る」という接触はだいだい不法接触になるわけで、その辺は刑法に定めておいたほうがいろいろとよろしいので、傷害罪みたいなものがあるわけです。
 さて、表現においても大抵の人が「それは不法行為だな」という表現については、あらかじめ法に定めていたほうがいろいろとよいので、公然わいせつ罪みたいなものがあります。私はその辺の法律はあまり好きではありませんが、それはともかく「通常の人間の受忍限度を超えるような表現」について規制や自粛をしようというのは、社会要請のひとつとしてあるわけです。これは猥褻物の話だけではなく、ヘイトスピーチについてもそういった表現は避けましょうということがある。
 ただ問題なのは被差別側というのは少数派である事が多く、しばしばその受忍限度というのは「通常の人間の受忍限度」と違うことがあります。つまり、ボーダーの事象では一般常識からの自主規制などでは抜け落ちる部分が必ずあるのです。
 もちろん、今回の問題はゾーニングで解決するしかないと思われます。「不快なのはお互い様」と思うしかない。誰かを不快にしないで生きていくことなの不可能なのですから。
 しかし、それで「万事問題なし」と思ってしまうのは素朴すぎると感じます。少なくとも「アレは差別的だからみんなで自主規制しましょうよ」というような主張に対して「差別って言えば何でも通ると思っていやがる」などという反応はなるべく避けたいと思っています。少数派が主張を社会に対して行うことについて、我々はできる限り寛容であるべきだと考えます。
 
 
 
 なんか、もはや、ひとりごとですねー、これ。
 

追記20090512

どこの国の女だろうが、レイプが侮辱でなくてなんなんだ、この糞たわけが!! - 消毒しましょ!
 AntiSepticさんがド直球の正論を書いてくださっています。これは必読です。
 私としては「誤解されたな」と思うところもあるのですが、それは当方のコミュニケーション能力の問題であり、そのエントリの正しさを損なう物では全くありません。是非お読み頂きたい。

*1:これに不快を感じない人はもっとキツイものを想像してみて下さい