20080128追記
全文撤回します。コメント欄参照して下さい。
以下の文章は参照のため削除しません。
えーと。id:tikani_nemuru_Mさんとの応答なんですが。
前提
東はこういうべきだった・公共性と歴史と科学(追記で応答 - 地下生活者の手遊びのブコメで、
科学が扱う事実とは、追試が可能なものだよ。虐殺の事実は再現して見せる事ができない。具体的な物証の検討は科学で扱えるが、伝聞ゲームはシニフィアだから郵便的。にゃー先生と東では扱ってるモノが違うんだって
はてなブックマーク - 不動産屋のラノベ読みのはてブ - 2008年12月2日
と申し上げたところ、
id:REVもすでに突っ込んでるけど、「科学が扱う事実とは、追試が可能なもの」なのであれば、進化論だけでなく、大陸移動説もビッグバン仮説も科学ではにゃーね。
こういう誤解が蔓延しているから、歴史修正主義と進化論への難癖を結びつけたんだけど、僕の論証が簡単すぎたかにゃ?
あと、伝聞ゲームで事実に迫ることができにゃーとしたら、裁判では「シニフィアだから郵便的」(なんか意味がよくわかんにゃーが引用してみた)なものでヒトを刑務所にぶち込んだり死刑にしたりしていることになるよにゃ。
と追記頂いたので、
>「科学が扱う事実とは、追試が可能なもの」なのであれば、進化論だけでなく、大陸移動説もビッグバン仮説も科学ではにゃーね。
うーん、例えば進化論あたりだと、進化の過程は再現不能でも遺伝的痕跡とかその辺は再現可能ですね。もちろん、南京虐殺でもそういった科学的に扱える物証があるんだろうな、とは思います。
ですが、たとえば、始皇帝が焚書坑儒をしたとかって歴史的事実っぽく扱われてるけど、あれって司馬遷が書いた事を頼りにしてるんですよね? で、司馬遷は秦を滅ぼした漢の臣であると。
歴史を研究するについて、そういった文献、つまり過去からのテクストに縛られないということはありえないと思うのです。
id:Midasが
http://b.hatena.ne.jp/Midas/20081201#bookmark-11100601
で
>擬史でない正史がどこにある。
と言っていますが、そういうことだと思います。過去からのテクストは、原理的に伝聞ゲームとなってしまう。
ですから、もちろん、誰が見ても明らかな物証は科学的事実として扱えると思いますが、南京虐殺と進化論を同様に語るのは違和感があります。
とコメント欄でご説明したところ、
応答ありがとう>Lhankor_Mhy
史記の歴史的な正確さについてはよくわかんにゃーのですが、司馬遷は君主である武帝に殺されかけてチンコ切られてるよにゃ。で、司馬遷の記述が全体として体制べったりになっているかというと、そんなことはにゃーと僕が読んだ限りでも感じるわけですにゃ。もちろん、司馬遷の書いたものはすべて事実だというつもりは毛頭にゃーのだが、史記における司馬遷のスタンスを「秦を滅ぼした漢の臣」と要約することはさすがに暴力的ではにゃーかと。司馬遷の記述は、他の証拠とつきあわされながら検証されるべきですにゃ。
で、この程度のことは歴史学者がやっていにゃーはずはにゃーですよね。歴史学者が単一のテキスト、あるいは「正史」に縛られていると考えるのはずいぶんと失礼な話ではにゃーでしょうか?
それは、現在の進化学者に「ダーウィンの種の起源を聖典とあがめ奉っている」と非難するようなものではにゃーでしょうか?むしろ、現在の歴史学は「正史」に対する多元的な歴史を展開しているのではにゃーかと僕には思えますにゃ。
しかし、それと「南京大虐殺はなかった」などという戯れ言とは次元の違う話だろ。>事実に迫れないとは思っていません。そこに異論はないです。
とレス頂きました。
本論
そういうわけで、思うところがあってさらに応答を書いたのですが、長くなったのでエントリにしました。自分トコにアクセス欲しいし。
まず、
東の発言については当該書籍を未読なので、あまり言及したくありません。申し訳ないです、いずれ読みます。南京虐殺の実在についてもここでは語りませんし、あまり意見もございません。
で、ここから本題。
史記の歴史的な正確さについてはよくわかんにゃーのですが、司馬遷は君主である武帝に殺されかけてチンコ切られてるよにゃ。で、司馬遷の記述が全体として体制べったりになっているかというと、そんなことはにゃーと僕が読んだ限りでも感じるわけですにゃ。
そうですね、私もそう感じます。しかし、そうやって過去からのテクストである史記について「司馬遷は冤罪をかけられたから、中立性が高いんじゃないか」とか検討している時点で、「過去からのテクスト」に縛られているわけですよね。歴史の解釈について、テクスト話者の属性からフリーであることってありえないと思います。
で、この程度のことは歴史学者がやっていにゃーはずはにゃーですよね。歴史学者が単一のテキスト、あるいは「正史」に縛られていると考えるのはずいぶんと失礼な話ではにゃーでしょうか?
もちろん、単一のテキストに縛られているとは考えていません。しかし、複数のテキストについて検討をしても、「歴史の解釈について話者属性フリーである」とは言えないでしょう。
たとえば、山本勘助は実在が疑問視されていますが、これは甲陽軍鑑以外に記述がないことが主な理由です。で、記述がある甲陽軍鑑と記述がないその他の史料とどちらが妥当か判断するわけですが、これは甲陽軍鑑が後世の軍学者が自説の信憑性を高める為に書いたものである為信用がおけない、という評価があるため、甲陽軍鑑の山本勘助の記述は創作だろう、とされています。*1。
つまり、複数のテクストがあって内容が矛盾すれば、どうしても話者属性を検討せざるを得ないと、私は考えています。
まとめると
私は歴史学を科学ではないとは申しません*2。しかしながら、焚書坑儒の例で言えば、「史記は前漢に書かれた」ということは科学的事実として判定可能かもしれません。しかし、「司馬遷は冤罪をかけられたから中立性が高い、だから始皇帝は焚書坑儒をした」ということは話者属性に依存しており、前者と同程度に科学的事実とは言いがたいでしょう。誰が語ったかが重要になる事実というのは、科学的事実という呼称に馴染みません。
そして、全ての歴史解釈は話者属性フリーになり得ない、というのが前述のとおり私の考えですから、南京虐殺の解釈についても話者属性に依存するテクストによる部分は必ずあると思うのです。科学的に検討可能な物証はもちろん科学的に扱えばいいですが、そうではない「話者属性依存テクスト」を進化論と引き比べることについては筋悪、と考えています。
ですから、端的に言うとid:Midasさんのブコメとほぼ同論なんですよね。東への評価はともかくとして。
歴史は自然科学でない。歴史を科学とするのは事象間の因果性においてのみ(ベルンハイム)。更に「同一事象でも観察者が違えば把握は異なる」東発言は許容内。
はてなブックマーク - 財)パタフィジック収集館ふくろう団地出張所 - 2008年12月3日