不動産屋のラノベ読み

不動産売買営業だけどガチガチの賃貸派の人のブログ

東浩紀×finalvent

 
 演算子を×にしたのは嫌がらせです。どっちが受けなのかは知りません。
 
 この二人が揚げ足を取り合ったようです。

不安ベースの社会は、人間を人間扱いしない、ぼく風の言い方をすれば「動物」扱いする社会です。だからひどい社会といえばひどい社会です。しかし、社会の構成員全体をひとしなみに動物扱いするのであれば、それはそれで人間的な社会とも言えないことはない。最悪なのは、だれが人間でだれが人間でないのか、恣意的に線を引く権力です。大袈裟に言えばアウシュヴィッツの教訓はそこにつきるわけで、だからぼくは、日本に対する愛とかなんとか以前に、ナショナリズムの論理が嫌いなのです。

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ここもついてけない部分、アウシュヴィッツナショナリズムは別の問題だとしか私には思えない。

 それと、ここは私が間違っているかもしれないけど、ナショナリズムというのは、友愛原理でなければどこかで血の共同体の延長(単純な延長ではないけど)的な意味合いがある。単純な話、自分の子と他人の子への対応は違う。そこの区別は、どこかしら血族的な差異が出てきてしまうし、むしろ近代国家はそうした差異を公的には抑制するか、家族的なセクターに封じる必要がある。

問題の背景がよくわかんないけど - finalventの日記

この発言には「え?」と思ってしまいました。ナショナリズムの歴史が全体主義の歴史と密接に繋がっていること、そしてその臨界点がナチスドイツの強制収容所であることは、思想史的にはよく言われていることなのではないでしょうか。そもそもナチスの「ナチ」は、ナチオン(ネイション)のナチですし。

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ナチスドイツの本質を「ナチ」の語源から理解せよというのが前提というのは違うと思いますよ。

(中略)

ごく普通の理解の一例としてですが、「国家社会主義ドイツ労働者党」です。

 つまり、ナチスというのは、ナショナリズムの範型ではなく、国家社会主義のもつ一形態ですし、むしろそうすることで、スターリニズムなども同一の枠組みで見えてきますし、日本の戦前の状況も見えてくるでしょう。

(中略)

 もうちょっとウィキペディア的に補足すると。

通称の由来:「ナチ(独: Nazi)」とは、当時の対抗勢力がナチ党員に付けた蔑称であった。ドイツ社会民主党員は同じように Sozialisten を短縮してゾチ (Sozi) と蔑称されていた。ナチス (Nazis) は複数形である。ナチスの呼称は日本で戦前から使用されている(後述の「文献」参照)。現在は英米でも Nazi Germany のようにドイツ語の Nazi がそのまま使用されている。ドイツでは現在は、Nazi よりも Nationalsozialismus の略号である NS を接頭語に例えば、NS-Deutschland のように造語される。

 であって、東さんの

そもそもナチスの「ナチ」は、ナチオン(ネイション)のナチですし。

 はちょっとずれていて、もとは、Nationalsozialismus、つまり、やはり、国家社会主義から来ています。

東浩紀さんへの返信 - finalventの日記

 
 私は社会学哲学も苦手なので、言ってることの半分も理解できていないと思いますが。 
 見事に本論からずれてて面白かったです。
 
 
 
 で。
 東さんが言ってた、不安社会について個人的な感想。

  • 不安社会は全ての成員を「動物」として扱うということは、権力を発動する個人も「動物」であることを想定する社会ではないだろうか。
  • 「動物」が管理する組織というものは「動物」化した組織になるのではないだろうか。
  • 「動物」化した組織は、ナショナリズムを組織利益の為に用いないだろうか。
  • ナショナリズム社会では、その成員は安心して「動物」化できなのではないだろうか。というより、むしろ「動物」化した組織は、その成員の「動物」化を許さないのではないだろうか。
  • つまり、その成員を「動物」として扱う「不安社会」は、安心して「動物」化できるような組織でなければいけないのではないだろうか。
  • ということは、「不安社会」が成り立つ要因は、その成員の多くが非「動物」であることを前提とするのではないだろうか。
  • であるならば、「不安社会」を成り立たせる為には、成員が「動物」化しない為の装置が必要ではないだろうか。

 
 まとめると。
人間を「動物」扱いする社会は、その成員が非「動物」であることを前提とするので、「非動物化装置」が必須
「動物」扱いするのにもコストがかかるのに、「非動物化装置」のコストも支払わなきゃいけないなんて、割に合わないな、と思いました。
 
 
 
 
 それにしても、社会学も哲学も全くの無知である私が、あの東浩紀に意見を公表できるなんて、WEBって素晴らしいですね。