でも、人間にとってはそうでもないよね、という話。
以下、論拠。
つまり私達は保険料を払ったとたん、保険会社という巨大な胴元に手数料を抜かれる、損な賭けに参加したことになるのだ。
山口揚平の時事日想: 生命保険は悲惨なギャンブル――ヤクザのばくち場は、一番公平!? - Business Media 誠
簡単な例で考えてみよう。保険料1万円で、自動車保険に入ったとする。事故に合う確率が0.1%だとすると、もし事故にあったら私達は、1000万の保険金を受け取れるべきだということになる。
ところが実際には、保険料の20%は保険会社が徴収するので、実際にもらえる保険金は800万ということになる。
簡単なギャンブルの質問をします。
以下の2種類のクジを購入するとして、どちらを買いますか。
- 99.9%の確率で1万円受取、0.1%の確率で999万円支払。
- 99.9%の確率で1万円支払、0.1%の確率で999万円受取。
ところで、ギャンブルにせよ保険にせよ、なぜ私達はこのような不利な賭けに参加してしまうのだろうか? それはわれわれ人間が、「小さな確率をより重視し、大きな代償を払う」という性質を持っているからだ。
これは正確ではありません。「小さい確率」よりも「高額なロス」に強く働く場合があります。
例えば先程のクジ問題、余剰資金が豊富な人でない限り、2番目を選択するでしょう。999万円の支払は一般人の家計を破壊するのに十分です。期待値では両方のクジとも0円で同じなのですが、1番目のクジでハズレを引くと次のクジを引くことはできないかもしれないのです。
そして、先程のクジ問題を少し修正してみます。
- 99.9%の確率で0万円、0.1%の確率で999万円支払。
- 99.9%の確率で1万円支払、0.1%の確率で0万円。
両方とも、期待値は▲9990円で同じですが、やはり二番目を選ぶのではないでしょうか?
999万円の支払は一般人の家計を破壊するのに十分です。
つまり。
これが保険です。保険とギャンブルは統計的には同じことですが、生活的には違うものです。『計算機にとっては』生命保険は悲惨なギャンブルでしょうが、人間にとってはきちんとしたプランニングを元にすれば、そうでもないのです。
これからの私達にとって大切なことは、お金を使うときに、それは一体何の対価なのかを一旦立ち止まって考える姿勢ではないだろうか。それは本格的な資本主義世界に生きる、私達の“義務”でもある。
これは、全くその通りです。期待値的に正しいことが本当に私達に必要なことか、よく考えて行動を起こすべきです。「期待値計算をしたら保険をやめた方が年間5千円オトク!」だけで思考を停止してはいけないのです。