不動産屋のラノベ読み

不動産売買営業だけどガチガチの賃貸派の人のブログ

宗教とニセ科学は峻別できる。


So-net blog:Chromeplated Rat:科学と宗教(試論)
http://blog.so-net.ne.jp/schutsengel/2007-01-07-2

もちろん自然科学のスコープにおいては実在を証明することはできないけれど、だったらすなわち「ない」ことだ、としてしまうのは、別の意味での思考停止に他ならない。


 宗教については一家言があります。


 私の言いたい事は以下の3点です。

  1. 反証可能な事は科学の領域。宗教はそこに立ち入ってはいけない。
  2. 宗教の教義は、反証不能(=証明不能)なことでなければならない。故に、根拠がなく、信じるか信じないかの選択にならざるを得ない。
  3. ニセ科学は、科学的手法を用いず反証可能な事を主張する。故に宗教ではない。


 まず、1について。
 これは、議論の余地がないところであると思います。「祈れば病気が治る」とか「空飛ぶスパゲッティモンスターが人類を創造した」とかいう主張は、慎重に観察を行えば正しいかどうかが判明します。宗教はこういう非論理的な事を言ってはいけない。


 2は、1と同じことです。
 少し補足をすると、宗教とは「証明不能な定義を元に、論理的な思考を積み上げて行動すること」です。よく「宗教は非論理的」という誤解がありますが、そうではありません。非観察的なだけで、論理的であると思います。少なくともそのように努力すべきなのが宗教です。
 例えば、仏教では輪廻転生を教義の一部とすることが多いです。これは反証不能で、非観察的です*1。そこからの結論として「殺生はいけない」という戒を作り出している宗派もあります。これは「すべての生命は輪廻を通してつながっているのだから、殺生をしてはいけない」という論理的な思考によるものです。


 3は、1や2より明らかですね。
 「水からの伝言」の主張は、追試が可能です。反証可能ですので、宗教ではありません。
 ニセ科学と言われていて、実は宗教であるものに、ゴスの「オムファロス仮説」があると思います。


忘却からの帰還: "Appearance of Age"あるいはオムファロス
http://transact.seesaa.net/article/9780710.html


「世界が創造されたときには、アダムとイブには母体から生まれていないのにへそがあった。楽園の木には年輪があったに違いない。であるならば、化石や地層やその他の考古学的証拠ごと、神が創造したとしても何ら奇妙なことではない」
 大雑把に言うと、上記のような主張です。
 これは、反証不能です。「昨日、世界は創られました」と言われても、反論する方法がない。そして、科学のあらゆる成果と矛盾する事がありません。故にこれは宗教と呼んだ方が良いと思います。


 逆に宗教と言われていて、実はニセ科学な例は、……たくさんありますね。

その意味では「水からの伝言」や数多のニセ科学を宗教と呼ぶのは、宗教と云うものに対しても侮蔑的なのではないかなぁ。

「一部の宗教」を宗教と呼ぶのも、実に宗教に失礼な話なんですよね。

*1:「前世の記憶が云々」とかのは例外として