不動産屋のラノベ読み

不動産売買営業だけどガチガチの賃貸派の人のブログ

「批判的=保守的」という若い人たち

 
 
 自分ではまだまだ若いつもりでいたんですが、もうインターネット老人になっていたようです。
 

ある物事に対して、そのプラス面を見て評価するか、マイナス面を見て評価するか、という分け方をしてみるとする。
 
(略)
 
マイナス面だけに注目するのが当たり前になった人たちは、最終的には「何もしないことが最良!」という価値観を支持するようになる。

blog.skky.jp

 批判的であること、イコール、保守的であること、という論はかなり衝撃的です。

肯定から始まる革新

 おっさん達が若い頃は、革新というのは常に現状への批判から始まりました。「小泉改革」とか「大阪維新の会」とか、下のほうから現状をぶっ壊そう、という動きです。
 
 しかし、「批判的=保守的」という若い人たちにとっては、どうやら「批判=革新への批判」ということのようです。
 まず、現状の肯定から始まり、その上で革新も肯定する、そういう人たちが革新派、ということらしいです。
 もちろん、実際に革新を実行する人は、現状に無批判ではないと思います。そのような人は現状を変更する動機に乏しい。
 であるから、大部分の人にとって「誰かが考えた新しいこと」について無批判に「お、それいいね」と支持する、というのが革新であるようです。
 
 つまり彼らにとって、「改革とはお上から下りてくるもの」なのではないでしょうか。
 
「お上」は言い過ぎとしても、すごく頭のいい人とか、とても行動力のある人とか、素晴らしいカリスマ性のある人とか、そういったちょっと雲の上の人たちです。
 すごい人や偉い人の邪魔をしないこと、イコール、革新的であること、というのが若い人たちのスタイルなのではないでしょうか。
 
 これは、現状へのゆるい肯定と、「お上」への強い信頼が必要とされます。
 少し前に話題になった id:kawango の「情報公開不要論」も同様の傾向が見られます。
 
kawango.hatenablog.com

まとめ

  • 日本って結構いい国
  • すごい人が、なんか新しいことを考えてくれるのは、いいこと
  • 批判は、すごい人や偉い人の邪魔になるから、よくない

 
 これが、これからの革新派、ということです。
 
 
 
 え?ノンポリ
 そんな死語を使うから年寄り扱いされるんですよ。
 
 
 

情報公開の必要性について

 

先にぼくの主張の結論を書くと、現状の情報公開制度は本来目指したいメリットは、ほとんど得られない上に、デメリットだけはとても大きいということだ。

kawango.hatenablog.com

情報公開による不正を減らすという目的は、究極的には国民の税金の無駄遣いを減らすということが一番大事だろう。不公平をなくすということは大事だとしても、平等にお金を無駄遣いするというのが目的ではないはずだ。

 
 細かい制度設計のことは置くとして、国を信頼しすぎかな、と思いました。
 

国がいつもあなたと同じ方向を向いているとは限らない

 思考実験をしましょう。
 
 たとえば。
 排他排中的な二つの政策AとBがあったとします。
 排他排中的なので、AとBのどちらかは実行せねばならず、両方を実行することはできません。
 AとBともに、実行されれば国に1兆円の利益があります。
 
 さて、ここで政策Bが実行されることになりました。
 ところが、政策Bではid:kawangoを殺すことが前提となっていました。
 そして、政策Aでは私、id:Lhankor_Mhyを殺すことが前提です。
 そしてどうやら、id:Lhankor_Mhyが不正な手段を持って政治に働きかけ、政策Bが採用されたようです。
 この不正を調査するには1億円がかかります。
 
 この調査が必要であるかどうか、国が判断するのであるなら、国の利益を第1に考えるしかないでしょう。
 そして、国の利益を考えるなら、調査をせずに政策Bを実行し、id:kawangoを殺すのがベストでしょう。
 id:Lhankor_Mhyの不正を調査することは、揚げ足取りであり、無駄です。
 id:kawangoが調査をあきらめれば、国のために自ら犠牲となった、とみなの尊敬をあつめるかもしれませんね。
 
 
 功利主義は、私も好きな考え方の一つです。
 ですが、その「功利」の測定について、各時代の賢人が頭を悩ませ、未だに結論がでていない難問でもあることを知っています。
「最大多数の最大幸福」は、その達成が難しい、というレベルの話ではなく、その存在を確認することさえが難しいのです。
 
 
 

NATROMさんの「インフルエンザ蔓延予防のための受診は必要ない」が成立する条件について

 
 ハイコンテキストすぎて私信みたいなものなので、↓こちらを読んでいない人はスルー推奨です。
 

 流行期には発熱患者の6割とか8割とかがインフルエンザである*3。仮に70%の確率でインフルエンザである患者さんに対し感度が80%の検査を行い、結果が陰性だったとしよう。この患者さんに対して「あなたはインフルエンザではないので熱が下がったらすぐに出勤していいです」と言っていいだろうか?

 こうした患者さんが100人いたらそのうち70人がインフルエンザだ。この70人のうち検査陽性は70×0.8 = 56人、検査陰性は70-56 = 14人。インフルエンザではない30人は全員検査は陰性である*4。陰性の結果が出た14+30 = 44人のうち、インフルエンザではないと正確に診断できるのは30÷44 = 約68%である*5。検査だけでインフルエンザではないと診断してしまったら、残りの3割強の患者さんがウイルスを巻き散らすことになりかねない。
 
(略)
 
 それはそれとして、インフルエンザの流行期には「検査で陰性なら解熱してすぐに出勤してもよい」「他人に感染させないためにも積極的に病院を受診して検査を受けたほうがよい」という方針は医学的には不正確で、かえって流行を促進しかねないことが周知されればありがたい。

d.hatena.ne.jp

 
 これは本当だろうか、と感じたので記事を書きます。
 
 

主題

 id:NATROMさんの

 インフルエンザの蔓延防止が目的なら、流行期の発熱患者は検査の結果に関わらず、インフルエンザであるとみなして対応するのが望ましい。すなわち、発症してから5日間かつ解熱して2日間は出勤せずに自宅で安静にする。

 というご意見に同意します。
 しかし、

 インフルエンザの流行期には「検査で陰性なら解熱してすぐに出勤してもよい」「他人に感染させないためにも積極的に病院を受診して検査を受けたほうがよい」という方針は医学的には不正確で、かえって流行を促進しかねない

 というご意見には異論があります。
 

検査陰性に対する見逃したインフルエンザ患者の割合は重要か

 まず、疑問に思うのは、

陰性の結果が出た14+30 = 44人のうち、インフルエンザではないと正確に診断できるのは30÷44 = 約68%である

 の部分です。この68%という数字は指標になるのでしょうか。
 全体で10万人いたとして、100人が発熱し70人がインフルエンザ患者、検査の感度が80%とすると、id:NATROMさんの計算のとおり、約68%です。
 
 さて。
 ここで、インフルエンザ以外の風邪が流行り、200人が発熱したとしましょう。この人たちも検査を受けに行きますがインフルエンザ患者ではありませんから、結果は陰性です。
 200人が発熱し70人がインフルエンザ患者、検査の感度が80%とすると、130÷144 = 約90%となり、インフルエンザ以外の風邪流行によって検査の信頼度が上がったことになります。
 おかしくないですか?
 
 また、インフルエンザの大流行により「少しでもせきや鼻水が出たら検査を受けるように」というお達しが学校や会社から出たとしましょう。
 その結果、1000人が検査を受けに行き、200人が発熱、70人がインフルエンザ患者、検査の感度が80%とすると、930÷944 = 約98.5%となります。つまり、症状がなくてもどんどん検査に行った方がいい……
 おかしくないですか?
 
 見逃したインフルエンザ患者の数や、あるいは集団全体に占める見逃したインフルエンザ患者の割合を見るべきではないでしょうか。それなら、どのケースでも同じ値になります。
 

「他人に感染させないためにも積極的に病院を受診して検査を受けたほうがよい」という方針はダメなのか

 次に疑問に思うのは、ここです。

「他人に感染させないためにも積極的に病院を受診して検査を受けたほうがよい」という方針は医学的には不正確で、かえって流行を促進しかねない

「医学的に不正確」なのはそのとおりなんだと思います。私もよりによってid:NATROMさんに医学で論争を挑むほど身の程知らずではありません。
 しかし。
 この「かえって流行を促進しかねない」というのは本当でしょうか。
 
 非常に雑で極々極めて簡単なモデルを考えてみましょう。

  • 集団人口100,000人
  • 発熱患者100人
  • うちインフルエンザ患者70人
  • インフルエンザ患者は2日間発熱し、5日間感染力を持つ
  • 検査の感度は8割
  • 検査陽性となった場合、5日間自宅で休養し誰にも感染させない
  • 検査陰性となった場合、2日間自宅で休養し3日間活動する。それがインフルエンザ患者ならその間に2人に感染させる
  • 検査を受けなかった場合、2日間自宅で休養し3日間活動する。それがインフルエンザ患者ならその間に2人に感染させる

 このモデルで誰も検査に行かなかった場合、全インフルエンザ患者がそれぞれ2人に感染させるので、次世代のインフルエンザ患者は140人になります。
 逆に、100%の発熱患者が検査を受けた場合、インフルエンザ患者の内 70 × ( 1 - 0.8 ) = 14人がそれぞれ2人に感染させるので、次世代のインフルエンザ患者は28人になります。
 めちゃめちゃインフルエンザ蔓延予防に役に立ってますよね。
 
 id:NATROMさんはどのようなモデルを考えたのでしょうか。

 インフルエンザの蔓延防止が目的なら、流行期の発熱患者は検査の結果に関わらず、インフルエンザであるとみなして対応するのが望ましい。すなわち、発症してから5日間かつ解熱して2日間は出勤せずに自宅で安静にする。

 そういうことでしょうね。
 
 モデルを再構築してみましょう。

  • 集団人口100,000人
  • 発熱患者100人
  • うちインフルエンザ患者70人
  • インフルエンザ患者は2日間発熱し、5日間感染力を持つ
  • 検査の感度は8割
  • 検査陽性となった場合、5日間自宅で休養し誰にも感染させない
  • 検査陰性となった場合、2日間自宅で休養し3日間活動する。それがインフルエンザ患者ならその間に2人に感染させる
  • 検査を受けなかった場合、5日間自宅で休養し誰にも感染させない

 このモデルで誰も検査に行かなかった場合、全インフルエンザ患者を含む全発熱患者が休養するので、次世代のインフルエンザ患者は0人になります。
 逆に、100%の発熱患者が検査を受けた場合、インフルエンザ患者の内 70 × ( 1 - 0.8 ) = 14人がそれぞれ2人に感染させるので、次世代のインフルエンザ患者は28人になります。
 めちゃめちゃかえって流行を促進してますね。
 
 とはいえ。
 現実に「熱は治まったけど、インフルエンザだったかもしれないし、あと3日休もう」という人たちが100%を占めるということはないでしょう。
 モデルを再構築してみましょう。

  • 集団人口 p 人
  • 発熱患者 f 人
  • うちインフルエンザ患者 d 人
  • インフルエンザ患者は2日間発熱し、5日間感染力を持つ
  • 検査の感度は8割
  • 検査陽性となった場合、5日間自宅で休養し誰にも感染させない
  • 検査陰性となった場合、2日間自宅で休養し3日間活動する。それがインフルエンザ患者ならその間に n 人に感染させる
  • 検査を受けなかった場合、「休養割合」r の発熱患者が5日間自宅で休養し誰にも感染させないが、( 1 - r ) の発熱患者は2日間自宅で休養し3日間活動する。それがインフルエンザ患者ならその間に2人に感染させる

 このモデルで誰も検査に行かなかった場合、インフルエンザ患者の内 d × ( 1 - r ) 人がそれぞれ i 人に感染させるので次世代のインフルエンザ患者は d × ( 1 - r ) × n 人になります。
 逆に、100%の発熱患者が検査を受けた場合、インフルエンザ患者の内 d × ( 1 - 0.8 ) 人がそれぞれ2人に感染させるので、次世代のインフルエンザ患者は d × ( 1 - 0.8 ) × n 人になります。
 
 せっかくですから、検査を受けに行くか否かで次世代のインフルエンザ患者が変わらない、「休養割合」r を求めてみましょう。
 d × ( 1 - 0.8 ) × n = d × ( 1 - r ) × n
 r = 0.8
 まあ、求めるまでもないですよね。式をごらんいただければ分かるとおり、インフルエンザの感染力や、インフルエンザ患者の割合・数、発熱患者の数に依存しません。
 この非常に雑で極々極めて簡単なモデルですと、「休養割合」r が検査の感度(80%)を上回る場合に『「他人に感染させないためにも積極的に病院を受診して検査を受けたほうがよい」という方針は、かえって流行を促進しかねない』と言え、下回るの場合は蔓延予防になると言えます。
 
 
 
 もちろん、現実はこのモデルとは違って、陽性だというのに外に出たり、検査を受ける前に他人に感染させたり、症状のない感染者がいたりするわけで、計算どおりにはいかないでしょう。
「じゃあもう、休んでもムダなんじゃね?」と言いたくなりますよね。
 
 ただ言えることは、「休養割合」r が 1.0 の状態がインフルエンザ蔓延予防目的には最上であり、そのためには「検査で陰性なら解熱してすぐに出勤してもよい」は排除しなくてはならない、ということです。
 そうなった場合には陽性だろうと陰性だろうと発熱があれば休むのですから、検査は『かえって流行を促進しかねない』と言えるでしょう。同様の理屈で、ワクチンもインフルエンザを軽症化し、感染者を不可視化するので、『かえって流行を促進しかねない』と言える、かもしれません。
 しかし、その最上に至る過程の状態においてはその限りではないと思います。
 戦争が存在しないことが最上であり、そうなった場合には戦争をしないのですから、軍事力はかえって戦争を促進しかねない(ただし現状ではその限りではない)、みたいな話でしょうか。
 
 
 個人の行動選択としては、あなたの周辺が「熱は治まったけど、インフルエンザだったかもしれないし、あと3日休もう」という行動に許容的であれば検査を受けない方がよく、否定的であれば検査を受けに行って陽性の結果を勝ち取るのが最適と言えるでしょう。
 クソ当たり前すぎる結論ですが。
 
 
 

コメントを受けて追記

 id:NATROMさんからコメントを頂いたので、その応答を追記します。

 検査対象者の有病割合(検査前確率)が低いほど陰性反応的中割合は高くなります。

 異論ありません。
 

 わざわざ検査を受ける意義に乏しいです。

 異論ありません。
 
 ここでは、陰性的中率がインフルエンザ検査の蔓延予防効果の適切な指標になりえるか、ということを書いていました。
 コメントの最後の段を読んで、NATROMさんは「インフルエンザ検査の蔓延予防効果の指標」として書いていたのではなくて、検査陰性の不確実性を周知するためだったのだ、と理解しました。
 ありがとうございました。
 
 

 検査を目的に受診するインフルエンザ患者の増加は病院への行き来や待合室で他の人にインフルエンザを感染させるリスクを増やします。また、検査を目的に受診するインフルエンザではない患者の増加は待合室で自身がインフルエンザに感染するリスクを増やします。とくに流行期はそうです。その点をご考慮いただけたらありがたいです。

 おっしゃるとおりです。
 
 

 インフルエンザワクチンの集団免疫効果は疫学研究で示されています。「ワクチンは流行を促進しかねない」という主張は間違っています。

 おっしゃるとおりです。私も本気で「前橋レポート」みたいなことを考えているわけではないのですが、不用意な書き方だったと思います。
 
 

 ちなみに私の外来に受診していただけたなら原則として検査なしにインフルエンザと診断して5日間自宅で休養していただきます

 それは素晴らしい。
 

「他人に感染させないためにも積極的に病院を受診して検査を受けたほうがよい」という方針は医学的には不正確であることを周知する必要があります。診察室内でご説明してもほとんど意味がないんですよ。そんなことを言われても個々の患者さんはどうしようもないでしょう。

『会社内や組織内でインフルエンザが蔓延するリスクを負いながら、休養をしない、あるいは休養をさせない、という選択をせざるを得ない事情があるのは理解できる。しかし、「検査で陰性なら解熱してすぐに出勤してもよい」という方針は、一般にリスクが低く見積もられすぎ、不要なリスクを負っている傾向にある。「インフルエンザ蔓延リスクを可能な限りコントロールしたいならば、検査を受けずに休養するべき」と周知した方がよい』
というような理解で、おおむねよろしいでしょうか?
 
 
 

#MeToo は思わせぶりな態度をやめて欲しい

 
 小島慶子さんが大変いいことを書いておられました。

#MeToo は男性排斥運動でもなければ、女性だけのものでもありません。力の差を利用して口を塞ぐものへのNOであり、苦しい思いを口に出せず、理不尽な目にあっても泣き寝入りするしかない世の中へのNOです。
つまりはあなたがこれまでに受けたあらゆる支配や暴力へのNOでもあるのです。
男らしさの押し付けだって、長時間労働だって、パワハラだって、みんな#MeTooと根っこはつながっています。
もしもあなたが男性で「女ばかりが被害者ヅラか」と思うなら、暴力の連鎖の果てで声をあげた女性を責めるのではなく、自分を痛めつけたのは誰かを思い出してほしい。それを生み出した構造を疑ってほしいです。

www.buzzfeed.com

 
 実にすばらしい。根源的な原因はマチズモ。そのとおり。あなたがもし未読なら是非読むべき。
 
 でも、この「マチズモと戦うために男性も #MeToo とつながろう」みたいなの、やめてほしいです。
 ずるいと思います。
 
 以下、論拠。
 

「キモくて金のないオッサン」問題

 Googleトレンドで「弱者男性」を調べると2015年5~6月にバズっているのがわかります。
"弱者男性" - Google トレンド
 きっかけになったのは、コレです。
togetter.com
 やはりGoogleトレンドで調べるとこの記事以降に使われるようになった言葉であることがわかります。
"キモくて金のないオッサン" - Google トレンド
 
 
 個人的に、この時期に書かれたはてなダイアリーの記事でとても印象深かったものがあります。
 font-daさんのこれです。
b.hatena.ne.jp
*1
 font-daさんはこの記事でこう書いています。

私がざっと見たところ、かれらの主張を要約するとこうである。

かつて男女差別が苛烈であったころは、女性は圧倒的な社会的弱者であった。しかし、フェミニズムの台頭で社会は変革され、男性以上に賃金を稼ぐ女性もいる。だから、フェミニズムは女性ばかりを救済するのではなく、稼ぎの少ない「弱者男性」を救うべきだ。稼ぎの多いフェミニストは、「弱者男性」と結婚しなければならない

 
 font-daさんにどういう意図があったのか不明ですが、font-daさんが「かれらの主張」としてリンクして挙げたのは次の記事です。
 一部引用します。

本質的にフェミニストは、弱者男性とジェンダー的な部分で共闘できると思うし、理念的にも共闘する義務があると思う。少なくとも建前上は、フェミニズムはそうして民意を獲得してきた歴史があるわけだし。(少し前に炎上したエマ・ワトソンのスピーチでもそうした趣旨のことが言われている http://logmi.jp/23710
フェミニストが弱者男性から敵視されるのは、建前上はジェンダーフリーを唱えつつ、その実、男性のジェンダー不平等を無視し、女性側のジェンダー不平等ばかりを取り上げることにあると思う。

anond.hatelabo.jp

 少なくともこの増田の本文中には「結婚」という単語さえ出てきません(「性愛」という単語はある)。
 
 font-daさんにどういう意図があったのか不明ですが、このころ以後『フェミニストは「キモくて金のないオッサン」と結婚するべきだ』という言説が見られるようになりました。
 「キモくて金のないオッサン」側からの要求としてまれにそのような言説がされることもありましたが、主観的には「フェミニスト」側からの「的」として使われることが多いように思います。まあ、ほんとにそう主張してる頭おかしい奴も実際にいるんで「的」にされるのは仕方ないと思いますが。
 いずれにせよ、まあ、なんというか、これに関してはまともな議論はできない環境になりました。誰かが意図的に断絶を生もうとしてるんじゃないか、などと陰謀論を唱えたくなる気分です。「ガチで議論してたらこうなった」なんて現実よりそっちの方がまだ気が楽です。
 

フェミニストは女性救済を優先する

 前掲のfont-daさんの記事を引用します。

フェミニズムは女性の自助的なつながりから始まった。だから、運動の筋から言っても、仮に救済に優先順位をつけるならば、「賃金を稼げない女性」が最優先ではないか。

 ごもっともだと思います。
 フェミニストはみなさん意見が違うのでややこしいですが、このご意見に同意するフェミニストは多数派なのではないでしょうか。
 フェミニストは女性の救済を優先する。2人の困った男女がいて1人助けるリソースがあるなら女性を助けるのがフェミニズム
 当然です。よろしいんじゃないでしょうか。
 
 しかし。
 それならばですよ。
 100人の困った女性と1人の困った男性がいて、100人助けるリソースがあるなら……?
 一部のフェミニストの方は(そして一部のリベラルも)こういう極端な条件での思考実験を嫌う印象があります。身体性を重んじるのはフェミニズムの長所だと思うので、それはそれでいいことだと思います。
 

#MeToo は本当に男性を救う気があるか

 もう何を言いたいのか分かったと思うんですが。
 #MeToo につながったとしても、結局のところ男性を救うのは男性なんです。リソースが余ったら助けてくれることもあるかもしれないが、女性や女性を支援している人たちに期待しちゃいけない。
 当たり前です、女性のセクハラ告発運動なんだから、あくまでも女性救済を目的としてコミットしましょう。
 

男らしさの押し付けだって、長時間労働だって、パワハラだって、みんな#MeTooと根っこはつながっています。

 これは正しい。
 疑う余地もなく正しい。
 でも「だからパワハラを受けている男性も声を挙げてください。支援します」とはどこにも書いてないです。
 
 勘違いするなよ男性諸君。
 特にリベラルの君。
 彼女の思わせぶりな態度にマジになっちゃ駄目だ。
「あ、もしかして僕のこと……」と本気になったら、行き着く先はセクハラやストーカーだぜ?*2
 
 
 
 ただ、まあ。
 BuzzFeed の #MeToo カテゴリには男性への性的暴力の記事もひとつあります。
www.buzzfeed.com
*3
 だから、全然脈なしというわけではないでしょう。
 きっと、#MeToo や小島さんは天然で思わせぶりな態度を取っているだけなんです。ナチュラルにダメ男製造機的発言をしているだけで、自分たちの活動がめぐりめぐって男性をも救うと本気で考えているのでしょう。
 なので、きちんと数とリソースをそろえて本気で #MeToo に男性救済目的でコミットするのもアリかと思います。
 そうすれば、嫌がらせやあてつけと見なされたり、迷惑がられるということもないでしょう。たぶん。*4
 私はやらないけど。
 
 
 

蛇足

 そういうわけで、フェミニズムに頼れない以上、リベラルがちゃんとアンチマチズモやらないと終わっちゃうからさ、みんなそろそろちゃんとしようぜ。パターナリズムを避け弱者を助けマチズモを退けるの、矛盾だらけでほんと大変だと思うけど。
 
 
 

*1:以前、IDコールをしない約束をしたので、ブコメにリンク失礼。

*2:ネタです。

*3:https://www.buzzfeed.com/jp/kazukiwatanabe/20170616-2 https://www.buzzfeed.com/jp/yuikashima/boys-molester もあるが、以前の記事をカテゴリに加えたもののようだ

*4:ほんとこの断絶作ったやつ誰なんだよ

ビンタをした奴はいつかビンタされる、という話

↓これの件についてなんですが。
bunshun.jp

つい手が出てしまうのは誰にでもあること でも……

 年下になめられて、ついカッとなって手が出てしまう気持ちはわかります。そういうことは誰にでもあること。
 特に、子供や女性などの暴力に弱い相手や、部下や生徒などの権力的に弱い相手に対しては手が出てしまうことが多いと思います。なぜなら、反撃されないから。
 実際のところ、あれ、相手がやくざだったりしたらビンタするやついないだろうと思うんですよね、怖いから。
 相手が「下」だと思うから手が出るんです。
 

生意気なガキは殴ってもよい?

 そういった意味で典型的な記事がありました。

俺は幼い子供を子育てしてる親も子供が逸脱した行為を起こして迷惑かけてたら多少ぶってもいいと思うし、暴走したら取り押さえて平手打ちの一発でも食らわせればいいと思うよ。
今まで人類はそうしてきたけどそれほど支障があったとも思えないし。

anond.hatelabo.jp

 これなんですけど。
 結局のところは「言うこと聞かないガキはひっぱたいて言うこと聞かせろ」という「体罰容認論」なんですよね。
 暴力で騒ぎを抑止するという発想ですが、しかし、あれが大人だったらビンタしただろうか? ビンタしたとして、解決しただろうか? と考えると、それはなさそうだな、と思うわけです。
 だとすると、あのビンタは「抑止行為」というよりもむしろ「教育」なわけで、「セッション中のソロの時間が長かったから」という理由で暴力を用いていいなら、「部活でチンタラしてたから」「授業の進行を邪魔したから」という理由で暴力を用いることも肯定せざるを得ないと思います。
 

正当防衛と体罰は混ぜるな危険

 なんてことを言ってると「強盗が来たら黙って刺されるのか」みたいな反論がよくあるのですが、たとえばこちら。
b.hatena.ne.jp
 学校にナイフを持ち込んだ生徒を校長室に呼び出して叩いた、というニュースです。
 これにいくつか「ガキがナイフを持っていたんだから叩いてもいいだろう」みたいなコメントがありまして。
 いや、もちろん、目の前でナイフを出されて刺されそうになったとか、他の生徒に害が及ぼうとしたとか、そういう時は暴力を用いるのもやむをえないです。でもそれは、正当防衛や緊急避難の話です。
 
 日野さんの件、たしかに中学生が日野さんの「演奏会を滞りなく進行する権利」を侵害し、それに対するという正当防衛としてビンタした、という解釈もありえなくはないですが、それを認めると「授業の進行を邪魔したから」という理由による暴力が正当防衛として成り立つって事です。
 体罰と正当防衛は混ぜると、いろいろなところで不具合を起こすと思いますよ。
 

体罰の是非をストーリーで判断するな

 私、ここ数年繰り返し、「体罰の是非はストーリーで判断するのではなく、加害の度合いで判断せよ」と主張してます。
「このぐらい生意気なガキだったらビンタしてもよい」「このぐらい素行不良だったらグーで殴ってよい」みたいなストーリーによる暴力正当化はやってはいけないと思います。
 それを認めると、何でもアリになるかと考えています。
「加害の度合いで判断せよ」とは、相手が大人だろうとクソガキだろうと、ビンタをしたならビンタ分の「責任」を取るべき、という話です。
 
 じゃあ、具体的には「責任」とは何なのか。
 大きくは、暴力をふるったことについて誤りを認め、謝罪することです。それが暴力の行使によって発生した不公正を解消する手段です。ビンタの加害の度合いはそれほどではないと思いますので、社会公正に照らして強い謝罪は不要かと思います。*1
 
 もし、謝罪をしない場合、これは「ビンタをすることは暴力ではない、正当な行為である」という表明であるかと思います。近代国家において私的復讐による暴力は認められていませんから、本来「ビンタされたからビンタし返す」は許されません。しかし、ビンタが暴力でないなら話は別です。
 つまり、「ビンタなんて大したことない」という人は他人からビンタされることを許容せよ、ということです。それが「責任」でもあります。
「演奏会で騒いだらビンタしてもよい」「隣の部屋で騒いでいて眠れないからビンタしてもよい」「禁煙スペースで喫煙をしたからビンタしてもよい」などなど、いろいろな場面でビンタを食らうことを覚悟する必要があるでしょう。自分がビンタする権利を行使するなら、当然に他人もビンタする権利を行使するはずです。*2
 
 ですから、「加害の度合いで判断せよ」とは、しっぺなのかデコピンなのかビンタなのか、あなたが他人から受ける暴力として許容できるのはどこまでですか、という話でもあります。
 
やられて嫌なことはするな、やったことはやりかえされる」というのは、多くの親が子供に教えるところではないでしょうか。
 

「相手が言うことを聞かないときにはビンタを張ってよい」という学習効果

 とはいえ、あの中学生が日野さんにお返ししてビンタをして手打ちということはないと思います。

「おれに言うことあるよな。『ありがとう』って言うのを聞いてないんだよ」

news.livedoor.com

 ちょっと、文章がおかしいので意味がとりにくいのですが、これ、こえーですよね!
 もし日野さんみたいな人にこんな台詞言われたら、誰でもビビりますよw
 中学生が平手張り返すなんて、まず無理でしょう。泣き寝入りがせいぜいです。
 
 いや。
 泣き寝入りならまだいいんです。
 これが、本当に「日野先生ありがとうございます!」と目覚めてしまったら最悪でしょうね。
 今回の件で、あの中学生は「目下の相手や弱い相手がいうことを聞かないときにはビンタを張ってよい」と学んだかもしれません。
 もしそうであれば、日野さんに受けた暴力は本人に返らず、彼の下の人間に向かうかもしれません。さらにその人がまた下の人間に暴力をふるい……、と延々と続くかもしれません。
 
 そういう意味で。
 今回の件は、日野さんが過去に先輩などから指導の一環として受けた暴力、あるいは我々が学校の先生や部活の先輩やブラック企業の上司から受けた暴力、さらには我々が年老いて嫁や婿や介護職員から「言うこと聞かない年寄りはひっぱたいて言うこと聞かせろ」と将来にふるわれるかもしれない暴力に、ほんの少し正当性を追加した、ということです。
「責任」とはそういう意味でもあります。
 
 
 

蛇足

 ところで、面白い意見がありました。

↓正当防衛が成り立つとはとても思えないけど…… - Lhankor_Mhy のコメント / はてなブックマーク

正当防衛云々言い始めると法的にどうかってつまらん話になっちゃうし、そういう話だと「腕を掴んで引っ張っていく」とか「拘束する」とかだって暴行扱いだろうし、下手して擦り傷でもつくれば傷害でしょう?(続メタ

2017/09/01 18:54

はてなブックマーク - ↓正当防衛が成り立つとはとても思えないけど…… - Lhankor_Mhy のコメント / はてなブックマーク

で、そういう話じゃなくて(っつーか話の流れで分かると思うけど)『例えば、犯罪者の制止っつっても、「ストーリー」次第で許容“度合い”は変わってくるんじゃないの?』っていう話で。

2017/09/01 18:57

 これはこれでなかなか楽しい、と思いました。
 ここまで、暴力を国家が独占する近代国家の話をしてきました。これが決闘や復讐が権利として認められてきた時代の話はしていなかったわけです。
 でも、「決闘や復讐の自由を認める近代国家」があってはいけないわけではないでしょう。衡平の原則に基づき私的暴力の行使を許可する近代国家というのは、思考実験のしがいがありそうです。「決闘税」みたいなのを設けて外部不経済を防ぐのとか楽しそう。
 さすがリバタリアンのrag_enさん、発想がぜんぜん違う、と感心しました。
 
 
 
 まあ、ご本人は、そんなつもりではなかったようなので残念でしたが。
↓なるほど、国家による暴力の独占を疑うんですね…… 確かに一理あります。すべての人には私的に暴力をふるう自由がある、ということになろうかと思いますし、授業を維持する権利行

そんな話は全くしてない筈なんですけど…。/警察等による“制止”行為にも「ストーリー」による“度合い”があるなら、私人の“制止”行為にも「ストーリー」による“度合い”はあるでしょう?と。(続メタ

2017/09/01 23:11

 警察官による暴力は、国家が独占している暴力の表れなので、「ストーリー」による“度合い”があるのは憲法による制約を受けているだけですよね…… 国家という暴力装置と私的暴力を混ぜるのは「標準的な」近代国家では無理が……

*1:私が決めることではないですが

*2:「殴っていいのは女子供相手だけに決まってるだろう」という正直な本音は伏せておくことをおすすめします。

この日本で、売買不動産仲介は悪い業界だった

 

 タイトルは↑これの改変。

 
 
 賃貸管理をされているはてなブロガーの方がこういう記事を書いてました。
 

それで契約が成立すれば、その業者は売主からも買い主からも手数料がもらえます。
これを「両手」と余分ですが、要するに1回の取引きで手数料が2倍になるわけです。

(略)

また、両手取引きの場合は利益相反が起こります。
価格を上げれば売主は得をしますが買い主は損をします。
価格を下げれば買い主は得をしますが売主は損をします。
つまり、両手の場合、業者は必ずどちらかを損させるわけです。

www.b-chan.jp

 
 
 これについて書きます。
 
 

それは「利益相反」じゃないです

また、両手取引きの場合は利益相反が起こります。
価格を上げれば売主は得をしますが買い主は損をします。
価格を下げれば買い主は得をしますが売主は損をします。
つまり、両手の場合、業者は必ずどちらかを損させるわけです。

 この部分ですが、これは一般的に言う「利益相反」ではないです。
 
 一般的な「利益相反」は、このケースで言うと代理人の利益と売主または買主の利益が相反することです。
 たとえば、代理人が売主と共通の利害がある場合、買主に不利な契約をした方が代理人に得になるでしょう。こういった場合を「利益相反」と呼ぶことが多いはずです。

利益相反とは、政治家、企業経営者、弁護士、医療関係者、研究者などのように、信託を得て職務を行う地位にある人物において、立場上追求すべき利益・目的(利害関心)と、他に有している立場としての、あるいは個人としての利益(利害関心)とが競合・相反している状態をいう。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E7%9B%8A%E7%9B%B8%E5%8F%8D%E8%A1%8C%E7%82%BAja.wikipedia.org

 法人の代表者が法人と自分との契約をする、後見人が被後見人と自分との契約をする、こういった話のはずです。
 
 
 
 ところで、これとは別に「双方代理」というものがあります。

同一の法律行為については、相手方の代理人となり、又は当事者双方の代理人となることはできない。ただし、債務の履行及び本人があらかじめ許諾した行為については、この限りではない。

https://ja.wikibooks.org/wiki/%E6%B0%91%E6%B3%95%E7%AC%AC108%E6%9D%A1ja.wikibooks.org

 この民法の規定は、双方の代理人になることによって利益相反が起きやすい、という理由によるものだと思います。おそらく、あの記事はこの二つを混同したのではないでしょうか。
 
 
 
 そもそも、不動産の売買は法律行為です。
 そして、法律行為の代理人を業としてできるのは弁護士や司法書士など一部の限られた職業だけです。
 もし「双方代理」に引っかかるのであるならば、片手であろうと法律行為の代理人ですから業務をやってはいけない理屈になりますよね。
 
 
 

よく提唱される「両手禁止」とは、実は「囲い込み禁止」のことです

 

実は世の中には売却の依頼を受けても、レインズに登録しない業者がいるのです。
レインズに登録せずに、自分で買い主を探すのです。
なぜならそれにメリットがあるからです。
不動産仲介業では、売主から仲介手数料がもらえます。
そして買い主からも仲介手数料がもらえます。



もし物件をレインズに登録してしまうと、レインズを見た別の仲介業者が買い主を連れてきます。
それで契約が成立すれば、売主側の仲介業者は売主から、買い主側の仲介業者は買い主から、それぞれ手数料を得ます。
それぞれが片方から手数料をもらうんですね。
これを業界では「片手」と呼びます。
しかし、もしレインズに登録しなければ、他の業者はその物件のことを知ることは無いので、売主側の業者が独り占めして買い主を探せるんですね。
それで契約が成立すれば、その業者は売主からも買い主からも手数料がもらえます。
これを「両手」と余分ですが、要するに1回の取引きで手数料が2倍になるわけです。

 これは「囲い込み」と呼ばれる問題です。

そのひとつが物件の「囲い込み」への対策だ。
売買の仲介手数料を売り主・買い主の両者から得る両手取りために、レインズに物件情報を出していても別の会社が問い合わせたとき紹介を断るといった、「囲い込み」に対しては抜本的な改善を行う。

www.zenchin.com

公益財団法人の東日本不動産流通機構は、不動産仲介取引の際に不当に物件を紹介しない“囲い込み”の禁止に乗り出した。会員向け情報システム「レインズ」の利用規程を16年振りに改訂。“囲い込み”を禁じる規程や処分規程を盛り込んだ。

kenplatz.nikkeibp.co.jp

 
「両手禁止」を提唱する人たちは、その理由に「囲い込みによって売主買主双方の機会損失が生じている」を挙げている方が多いです。
 つまり、「囲い込みを禁止するのは現実には無理だから、いっそのこと両手取引を全部禁止すれば囲い込みもできないだろ」ということです。
 個人的にはいささか乱暴な意見だと思っています。
 
「囲い込み」に対しての私の意見はこうです。

不動産囲い込み批判に対する、不動産プロたちの見解 - Togetterまとめ

囲い込みというのはつまり、「XXXX先生の作品が読めるのはジャンプだけ!」というものであって、それを知らない読者が「XXXX先生の作品を読みたいんだけどなかなか載らないね」とマガジンを見つめているのが問題。

2015/06/12 13:57

 
 そうなんですよ。客付不動産業者が「その物件はXXX不動産が取り扱ってますよ」と教えてあげれば済む話なはずです。
 え? 「そんなことしたら、俺たちの売り上げが減るだろう」って?
 ですよね。でも、それを言ったら、両手禁止で売り上げが減る業者もいますよね?
「囲い込み」を問題視するのも結構なんですけど、そこに顧客に対する視点があるように見えないんですよ。結局、「ウチに客を回せ」と言ってるだけじゃないですか?
 顧客は本当にその業者と取引したいんですか? ほんとはどっちでもいいんじゃないですか? 「XXX不動産を仲介に入れないと契約しない」なんてこと、それほど多くないんじゃないですか?
 
 試しに、消費者にアンケートでも取ってみたらいいと思いますよ。
「あなたはどちらの不動産業者から買いたいですか?」

  1. 売主と直接やりとりをしている不動産業者
  2. 他の不動産業者を通してやりとりしている不動産業者

 2が1より多くなるとは、とても思えないんですけどね。
 
 
 

「両手禁止」の効果は疑問です

また、利益相反防止のため、両手取引きは禁止されています。

アメリカの売買不動産仲介業界はまともであり、日本の売買不動産仲介業界は汚れているわけです。

 
「両手禁止」を提唱する人たちのもう一つの根拠に「片手なら不動産屋も私のために働いてくれるはず」というものがあります。
 
 はっきり言いましょう。
 それは幻想です。現実を見てください。
 不動産屋がお金を払ってくれる人のために仕事をするとは限りません。

不動産屋さんの営業担当者が自分の家を売ったときのデータと、彼らがお客の家を売ったときのデータだ。先ほど触れたシカゴの住宅先ほど触れたシカゴの住宅売買のデータ10万件を分析すると、ありとあらゆる変数――場所、築年数、家の質、外観、など――を調整してもなお、不動産屋さんの営業担当者は自分の家を平均で10日長く市場に出していて、3%強、つまり3万ドルの家なら1万ドル高く売却していることが分かった。

https://books.google.co.jp/books?id=xhnuAwAAQBAJ&pg=RA1-PA2#v=onepage

 顧客の家を売る時は3%ほど安く売っている、というデータです。
 これは「両手禁止」で「まとも」なはずのアメリカの売買不動産仲介業界です。片手取引なので、不動産業者があなたの利益を最大化するために働いてくれるはずなんですが……
 
 試しに、不動産屋にアンケートでも取ってみたらいいと思いますよ。
「あなたは、両手と、売り側片手と、どちらの時に高く売ってますか?」

  1. 両手
  2. 売り側片手
  3. 変わらない

 自分の経験上、3が一番多くなると思います。
 
 
 

結局のところエージェンシー問題です

 この件は、結局のところエージェンシー問題だと思います。
 なんか疲れてしまったので、医療におけるエージェンシー問題をまるっと引用させていただきます。

問題は医療において医師が「不完全なエージェント(Imperfect agent)」であることです。医師が患者さんの利益を最大化するためだけに集中できている(=完全なエージェント)のであれば問題はありません。しかし現実には、医師は(1)患者さんの利益(健康)を最大化するという目的と、(2)自分の(経済的な)利益を最大化するという目的の、2つの相反する目的があるということです。実際には患者さんの健康上の利益を犠牲にしてまで自分の利益を最大化する医師はいないと思いますが、医学的にそれほど重要でない部分(英語でmarginalと表現します)に関しては影響を与える可能性があります。先ほどの転倒した男の子を医師が適切に診察したところ、大きな問題はないので帰宅して様子を見るのが良いと判断したとします。それを医師がお母さんに説明すると「先生、心配だから念のため頭のCTを撮ってください。」と言われたとします。ここで「念のため」頭部CTを撮影することは男の子の将来のがんのリスクを増やす可能性があるという研究結果があるので、不必要な頭部CTは避けたいものです。しかしこのクリニックにはCTがあってある程度使わないとクリニックが赤字になってしまうとしたら、「お母さんを安心させるため」という理由でCTを撮影する医師もいると思います。
 
(略)
 
医師は患者さんの健康上の利益と、自分の経済的利益の両方を最大限しようとします。もしこの患者さんの利益と、自分の利益が相反したときに、トレードオフが必要になります。これが医師が「不完全なエージェント」であると言われる所以です。これは医師が自分勝手であるとかプロフェッショナルではないという道徳の話ではなく、構造上な問題です

healthpolicyhealthecon.com

 不動産屋だって、どうせなら人の役に立つ仕事をしてお金をもらう方がいいに決まっています。
 でも、100件案内しても契約をしないと一切お金がもらえないのですから、どうしても契約させるインセンティブが働きます。
 これは「両手」とは関係ないことです。
 
 
 

賃貸契約の「双方代理」については? 管理業務の「双方代理」については?

 ちなみに。
 id:B-CHANは、賃貸管理業をやってらっしゃるとのこと、自社管理物件についても必ず「分かれ」で仲介されていますか?
 また、賃貸管理をしていると、家賃交渉・退去立会・修繕等、貸主借主の利益相反になることが多いと思いますが、双方代理とならないようにどのような取り組みをされているのでしょうか。第三者に仲介を依頼されているのですか?
 参考までに教えていただけますと幸いです。
 
 
 
 それとも。
 日本の賃貸管理業は悪い業界ですか?
 
 
 

「日本人でよかった」のモデルリリースに、日本人扱いしてもよい、という承諾があった件

↓この件について批判が多いようですが。

www.buzzfeed.com
toulezure.hatenablog.jp
 
 
 
↓この素材について
www.gettyimages.co.jp
 詳細を見てみると、

リリース情報: モデルリリースがあります。

 とありました。
 
 そのモデルリリースは標準的な内容であれば、↓こちらになるかと思います。
https://contributors.gettyimages.com/img/articles/downloads/ebef3ac5-84cf-4c5e-93df-acdceb7b428c.pdf
 
 この中に、

私は、本書面の末尾に記載した「人種・民族及び性別に関する情報」が公表されることを了承し同意します。なお、本件撮影物を説明する目的のために、本件撮影物撮影者や本件撮影物販売者、及びこれらから本件撮影物の使用許諾を受けた者が「人種・民族に関する情報」について異なる情報を付す場合があることを理解し了承します

 とあり、少なくとも形式的には、この中国人女性は自分の肖像について日本人として利用されることを許諾していることになります。
 ですので、この場合の論点は、このモデルリリースに瑕疵があるかどうか、ということになるかと思いますが、ここまではっきり書かれているとちょっと無理筋なんじゃないでしょうか。
*1
*2
 
 
 

*1:神社本庁はこのことを認識してたわけではないでしょうけれど、悪意がなく、かつ、結果的にセーフ、であるなら問題ないのでは。

*2:ただし、この書面は日本語で書かれており、当該モデルが使用しただろう中国語のリリース( https://contributors.gettyimages.com/img/articles/downloads/13914543-b68b-44ab-ade2-fe4eb8fd78a4.pdf )に同様の文言があるかどうか未確認です。